北海道旅客鉄道キハ40形700番台旭川車
塗装:B-513 Mr.スーパークリアー光沢
B-519 Mr.サーフェイサー1000スプレー
S-13 Mr.カラースプレーニュートラルグレー
S-97 Mr.カラースプレー灰色9号
SG14 ガンダムカラースプレーMSライトブルー
XGM02 ガンダムマーカーEXシャインシルバー
TS-35 タミヤカラースプレーライトグリーン
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ワム93287(かもつれっしゃのワムくん)
かしゃのワムくん、番号は93287(くさにはな)です。やまのえきの駅長さんの引っ越しの荷物を降ろしてから一月以上駅の一番端っこに停められていました。ある日、高橋農園のりんご箱が積み込まれ、かもつれっしゃに繋げられて出発します。
ワム93287は関根栄一(文)・横溝英一(絵)の『かもつれっしゃのワムくん』(小峰書店、1984年5月30日)に登場する貨車です。昔図書館で借りた本で親によく読んでもらいました。以前から作りたいと思っていましたが、通常のワム80000形と違いワラ1形のような丸い屋根になっていること、側面のプレスドアなどが課題でなかなか手が動きませんでした。今回は車掌車のヨ3500形から改造することで、この問題を解決しました。製作する動機としては、M上くんの「第一回所沢プラレールコンペ」に出す作品を悩んでいた時に、テーマである1980年代に発行された本であることに気づいたことです。昔から馴染みのある作品をプラレールにすることが出来て本当に良かったです。
妻面は製品のワム80000形に合わせる形で二本の柱があるように見える形で切り込みを入れています。屋根Rはヨ3500形そのままです。
宇都宮ライトレールHU300形
第一空知川橋梁の架け替えについて
地理院地図を大学で使用する機会に恵まれたので活用してみようと思い、1970年代の航空写真を見ていました。砂川~滝川間に架かる第一空知川橋梁を眺めていたところ、単線並列なのに気づきました。よく考えると現在架かっている第一空知川橋梁は複線トラスだったはずです。今回は第一空知川橋梁の新旧を調べてみようと思います。また、今回から空知鉄道遺産研究所というカテゴリーで空知地区の歴史を記事にしていこうと思います。
初めに1977年に撮影された第一空知川橋梁の姿です。現在線を黄緑色で示しました。この時点では単線並列なのがわかります。土木学会付属図書館の橋梁史年表によると、上り線が1952年春本鉄工所の下路単純ワーレントラス、下り線が1956年春本鉄工所の下路単純ワーレントラスとなっています。この写真の時点で橋脚が設置されています。『札幌工事局「ぽぷら」(46号、1977年4月)』に掲載された写真によると上り線は滝川方からワーレントラス・ワーレントラス・曲弦プラットトラス・鉛直材付ワーレントラスとなっています。下り線は写真が不鮮明ですが滝川方から鉛直材付ワーレントラス・鉛直材付ワーレントラス・鉛直材付ワーレントラス(?)・鉛直材付ワーレントラス(?)となっているようです。
次に2007年撮影の姿で、赤色の線で示したのが架け替え前の位置です。複線トラス橋に架け替えられています。橋梁史年表によると架け替えられたのは1979年となっています。
1977年の滝川側のアプローチ部分です。函館本線の電化は1968年のため、この時点で架線柱がうっすらと見えます。現在線のアプローチ部分も既に整地されているのがよくわかります。
2007年撮影の写真です。かつてのアプローチ部分に架線柱が残っているのがわかります。以前から函館本線乗るときに車窓から見えていた架線柱の正体は旧線だったのですね。今日まで留置線かと思っていました。
追記:札幌工事局の記事
Twitterの方でフォロワーのsaka_matsumi様に当時の『札幌工事局「ぽぷら」(46号、1977年4月)』の第一空知川橋梁に関する記事を見せて頂いたので紹介させていただきます。
以下抜粋
『滝川工事区は、昭和五十一年八月開設され、函館本線砂川ー滝川間、第一空知川橋りょう改良工事を相当しています。
(中略)
現在線橋りょうは、上り線が昭和二十七年、下り線は昭和三十一年といずれも旧橋りょう(明治三十一年~大正八年に建設)の一部を再用して建設された単線並列橋りょうで、滝川市民から赤鉄橋の名で親しまれていましたが、年々河床の低下、流心変動が著しく根固土で橋脚を防護してきたが安全度は極めて悪く、また、上部構造も再用けたで経年による腐食が甚だしく、国鉄では本橋りょうの改良を計画していました。』
ここまでの内容で特に気になったのは札幌工事局滝川工事区が第一空知川橋梁の工事のために1976年8月に開設されたこと、上下線共に明治・大正の桁を再利用して建設された橋梁だという事です。航空写真は工事局開設から約1年後に撮影されたものだということがわかります。そして桁の種類が複数あったことは先代の物を再利用したからだという事がわかりました。
以下再び抜粋
『一方、北海道開発局では、昭和四十七年から第一空知川の改修工事を進めており、これに伴い、鉄道橋の経間拡張の必要が生じ、協議の結果、河川改修工事として協議が整い本橋りょうの改良工事を着手することになりました。現在橋りょう∠=321.1m(GD19.2×5、31.4×1Tt62.4×1)を、上り線から上流方20mの位置に∠=517.2m(Tt63.7×8)の複線橋りょうを新設する、下部構造は、ニューマチックケーソン(ワンロット)工法を採用し、橋脚は阻害率から巾3.5mの小判型とし、上部構造は下路トラスけた(斜角右60°)を架設する。軌道構造は、保守の省力化を計るため鋼直結軌道を計画中です。現在、橋脚4基が発注され昭和五十四年十月使用開始を目途に総工事費三四、三億円をもって施工中であります。(以下略)』
残りの部分はかなり技術的な部分を含んでいます。架け替えの経緯として北海道開発局の第一空知川の河川改修が行われていたという事がわかります。新橋梁は上流方20mの位置に複線橋梁として総工事費34.3億円で新設するとされています。下部構造、いわゆる橋脚部分はニューマチックケーソン工法、上部構造は下路トラス桁、軌道構造は鋼直結軌道で保守作業の省力化を図るとあります。正直、初めて聞く単語ばかりで難しい内容です。ニューマチックケーソン工法とはオリエンタル白石のサイト によると圧縮空気を送り込み水の流入を防ぎ、ドライな環境で基礎工事を行い、ケーソン部分を埋めていく工法とのことです。下路トラス桁は先代同様の下路ワーレントラスのことで斜材の角度が60°ということですね。軌道構造の鋼直結軌道というのは恐らく桁に直接軌道を固定することだと思います。
ここからは余談ですが、第一空知川橋梁のかつてのトラスが再利用された橋があります。それは1924年に架けられた王子軽便鉄道の千歳川橋梁(通称:山線鉄橋)です。元をただすと1898年7月16日に空知川に架けられた下路ダブルワーレントラス橋ですが、1919年に撤去されて転用されたようです。支笏湖の方にあるという事で行ってみたい場所の一つです。
参考文献
・日本国有鉄道札幌工事局『ぽぷら』(日本国有鉄道、第46号、1977年4月)
未調査文献
・札幌工事局70年史編纂委員会『札幌工事局七十年史』(日本国有鉄道、1977年3月)
参考サイト
・『地理院地図』(国土地理院)<http://maps.gsi.go.jp/>(2022-05-30参照)
・『橋梁史年表』(土木学会付属図書館)<http://www.jsce.or.jp/library/page/h_bridge.shtml>(2022-05-30参照)
・『技術情報一覧』(オリエンタル白石株式会社)<http://www.orsc.co.jp/tec/index.html>(2022-05-30参照)