Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

上砂川支線廃線から26年

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上砂川支線と三井砂川炭鉱中央立坑櫓

私の生まれ故郷である砂川市、今は市内を縦断する函館本線が残るのみですが、かつては2本の鉄路が砂川駅から伸びていました。一つは北海道炭礦鉄道時代に砂川駅を経て、支線扱いとはいえ当時の終着駅となった歌志内へと至る歌志内線。そしてもう一つは三井鉱山の請願で建設され、後に函館本線の支線となる上砂川支線。今日は上砂川支線の廃線の日ということで上砂川支線について書いていこうと思います。

 

上砂川支線の廃止は1994年5月16日、今から26年前の出来事です。廃線に向けていくつかの臨時列車が企画されました。

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上砂川駅に入線しているフラノエクスプレス(イメージ)

次にフラノエクスプレス、4連で上砂川駅まで入線しました。

この編成は実は何度か上砂川支線に入っているようで、上砂川駅舎内にビッグスニーカー塗装の写真も飾ってあります。

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キハ40形「さよなら上砂川支線号」(イメージ)

最期にキハ40形2連の「さよなら上砂川支線号」です。当時の写真を見ると上砂川方からキハ40 710+キハ40 718となっています。ちなみにこのキハ40は後に350番台に改造されて、キハ40 355+キハ40 351となっています。

 

廃線当時は1日6往復ほどしか列車は走っていませんでしたが、最終日には臨時列車も走り定期列車も増結され、最後の花道といえる姿だったと言えるでしょう。私の祖母も最終日の列車に乗車し、上砂川支線を見送ったと聞きます。廃線後は現役当時から走っていた中央バスの路線が、上砂川の交通を担っています。

 

余談ですが、イメージとしてのプラレール写真を撮影するにあたり小規模なレイアウトを作成しました。

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製作した上砂川駅レイアウト

ホッパーや中央立坑、サイロなどの炭鉱設備や上砂川駅舎とホームの鉄道設備を情景として製作しています。詳細部分はまたいつか紹介する機会が有るかもしれません。

sunagawarailway.hatenablog.com