Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

C62形の動輪について

保存車コラムと称して保存車に関するアレコレについて書いていきたいと思います。今回は「C62形の動輪について」です。旧ブログ時代にも同様の内容を取り扱ったのですが、当時よりも情報や現地訪問の数も増えたので加筆しつつ纏めなおしていきたいと思います。

 

事の発端は1月に佐渡島で入手した鉄道ジャーナル社の「驀進!C62ニセコ」という本がきっかけです。この本にはC62 3号の復活の話や現役当時の急行「ニセコ号」の話が載っています。これを読み、再びC62形についてブログを書いてみようと思いました。

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東海道本線のエース機C62形

C62形は東海道本線のエース機であり、有名で人気の高いSLの一つだと思います。東海道本線に限らず、ある人には常磐線、ある人には呉線、そして忘れてはならないのが函館本線山線ですね。特に東海道本線函館本線での活躍はプラレールでも製品化されているのでご存じの方も多いでしょう。現在は5台のカマが保存されています。1、2、26号が京都鉄道博物館に、3号がJR北海道苗穂工場、17号はリニア鉄道館に展示されています。

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京都鉄道博物館で保存されているC62 1号

トップナンバーの1号機は1948年にD52 74から改造されて誕生しました。主に広島で活躍していたようです。1967年の廃車後は小郡機関区で保管、後に広島工場を経由して広島鉄道学園に展示されていました。分割民営化後の1994年、鉄道学園の廃止に伴い現在の居場所である梅小路に来たようです。伝説の「サウンドC62重連セット」でプラレールにもなりました。
左第一先輪がC59 107の転用だそうです。C59 107は末期に広島に所属していたのもり、その時か廃車後の交換かと思われます。

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京都鉄道博物館で保存されているC62 2号

スワローエンゼルと呼ばれていた2号機、デフのつばめマークが目立つC62のスター機です。D52 455からの改造で、糸崎から宮原を経て北海道へ渡ってきました。調子が悪いカマだったようで、スワローエンゼルと呼ばれるきっかけとなった急行ニセコなどの補機運用も、調子が悪いが故の運用だったそうです。ニセコの最後の3重連でももちろん先頭に立ちました。ニセコ廃止後は梅小路に転属し動態保存されました。国鉄が分割民営化された後もずっと梅小路に所属し、現在もスチーム号を牽引しています。何度もプラレールになっているカマなのでお子さんもよく知っているかもしれません。

そんな2号機ですが、第一・二先輪がC62 32の転用のようです。C62 32と言えば末期まで小樽築港機関区にいたカマですね。先輪ごと交換されたのでしょう。

右第二動輪にはC59 63の転用です。C59 63は広島で戦災に遭い廃車となった釜のようで、この動輪も戦争の被害に遭ったのでしょうか。ストックとして保管されていて場合によっては新造時から使われていた可能性もありますね。

右第三動輪にはC62 16の刻印があるそうです。あとで説明しますが16号機はニセコ末期に糸崎から転属してきた釜で、末期は2号機と共に活躍しました。その時の交換だと思われます。

左第三動輪にはC62 21の刻印があるそうですが、21号機は白河や尾久機関区に所属し東北本線常磐線系統で活躍していて、1961年という早い時期に事故廃車となっているようです。2、16号機共に接点が見当たらないため、廃車後工場へ部品が持ち込まれた可能性があります。

2号機は調子の悪さと動態機で長く走ったというのもあり、あちこち交換されているようです。

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JR北海道苗穂工場で保存されているC62 3号

JR化後の動態復活機の3号機は、D52 458から改造されました。2号機と同じく糸崎に配置されて梅小路、小樽築港と渡り歩いて来ました。北海道に最初に渡ったC62形で、函館本線用の軸重軽減改造や耐寒改造をして、少しの間試験的に走ったそうです。2号機と共に最後まで活躍し手宮で保存、分割民営化直前に小樽築港機関区へと運んできたようです。

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C62 3号をけん引したDD16 15号

この時、廃線になっていた手宮線を回送しています。牽引機は現在三笠で保存されているDD16 15で、当時は小樽築港機関区に所属していたようです。保存車を復活させるのに貢献したカマが、後に別の場所で保存されるというのも面白い縁です。

1988年から現役に復帰して、1996年まで8年ほど走りました。色々事情が重なり、運転は打ちきりとなったようです。現在、その勇姿が拝めないのは残念ですが、走っていたらJR北海道への負担となっていたかもしれません。いつか復活する日を心待ちにしていましょう。もちろん、プラレールでも製品化されています。

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リニア鉄道館で保存されているC62 17号

17号機は日本の蒸気機関車のタイムレコード保有機です。D52 69から改造されました。岡山に配置された後、名古屋、梅小路、下関、広島、糸崎、稲沢と渡り歩いた釜ですが、基本的には東海道本線山陽線系統で活躍していたようですね。名古屋機関区所属時代に木曽川橋梁上で、129km/hという我が国の蒸気機関車の最高記録を打ち出したレコードホルダーです。糸崎での活躍を終えたあとに稲沢機関区が確保し、名古屋市東山動植物園で保存されていました。屋根無しの保存場所で状態が悪くなっていましたが、晴れてリニア鉄道館に収蔵されました。リニア鉄道館オープン記念でプラレール化されました。

左第一・二先輪にはC62 16からの転用らしいです。16号機が小樽築港に転属する前に交換されたのでしょうか。16号機の部品は2号機の右第三動輪にも生きています。
左第三動輪にはC62 18からの転用らしいです。18号機と言えば2号機と同じくつばめマークをデフにつけていた釜です。プラレールでも製品化されています。2号機のつばめは鷹取工場の匠が冷蔵車レ10000の内装ステンレス材の余りから作ったと言われていますが、18号機のつばめは名古屋機関区の技工長がお召し用のステンレスの廃材から作ったと言われています。18号機のつばめマークは下を向いていたようで、「下がり燕」と呼ばれていたようです。つばめマーク保有機の18号機の部品が、17号機に生きていると考えると非常に興味深いところです。余談ですがレコードホルダーの17号にはつばめマークでは無く、はとマークをつける予定があったとかなかったとか。

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京都鉄道博物館で保存されているC62 26号

26号機はD52 46からの改造で登場しました。17号機と同様に広島、名古屋、宮原 、梅小路、下関、広島、糸崎と東海道本線山陽線系統で活躍していたようです。

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交通科学博物館に展示されていたころのC62 26号

大阪の弁天町にあった交通科学博物館に展示されていましたが、現在は閉館されて梅小路に新設された京都鉄道博物館に展示されています。動輪の刻印が見にくい展示のために情報が多くないですが、C59形からの転用部品があるようです。

他にもラストナンバーの49号機は常磐線の平機関区で活躍していて保存の話もあったようですが、解体されてしまったようです。C62形といえば「銀河鉄道999」に出てくる48号機も有名ですがこちらも現存せず。

 

そして話は動輪へと戻ります。完全な状態で保存されたのは上記の5機ですが、動輪が残ったカマは他にもいくつかあります。

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動輪の広場で保存されているC62 15号動輪

15号機はD52 122からの改造で登場しました。糸崎から岡山、浜松、広島、糸崎と他のC62と同様の経路を辿り、糸崎のC62終焉まで生き残りました。北海道の小樽築港機関区では、電化やDD51によってC62を使用した急行ニセコ号の置き換えを計画していましたが、置き換えの前に検査期限が来てしまうことがわかりました。そのため糸崎から検査期限の残っていた15、16号機を転属させることで対応することとし、15号機は16号機と共に北海道へ渡りました。当時小樽築港に在籍していたC62のうち2、3号機は検査を通して、32、44号機は15、16号機の代わりに廃車されることになりました。この時に15号機は部品を44号機の部品と交換したそうです。

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部品に残るC62 15号の刻印

15号機は急行「ニセコ号」の置き換えまで生き残り、廃車後に足回りは東京駅に設置さました。現在は動輪が東京駅地下ホームの動輪の広場として整備され、東京の人々に親しまれています。かつてC62形が出入りした東京駅の地下に15号機が生きていると思うと、感慨深い物があります。先程述べた通り15号機の部品は44号機と交換されており東京駅の動輪の広場にある動輪も44号機の刻印が確認できる箇所があるそうです。

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JR北海道苗穂工場で保存されているC62 32号動輪

32号機はD52 147からの改造で登場しました。梅小路に配置された後に直接小樽築港に転属しています。15、16号機の転属時に残念ながら廃車されて、部品は16号に転用されました。

生き残った部品も16号機と共に散ったと思われましたが、第二動輪が苗穂工場に展示されています。刻印にはしっかりと32号の文字が確認できますが、よく見ると16号と思われる物がうっすらと確認できます。先述した通り、本来の16号機の部品も2号機や17号機に生きています。

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JR貨物岡山機関区で保存されているC62 40号動輪

40号機はD52 367から改造されました。梅小路に配置され下関、広島、糸崎と辿りました。廃車後に動輪がJR貨物岡山機関区前に展示されています。ナンバープレートには1号と書いてありますが、刻印には40号と刻まれているそうです。

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小樽駅で保存されているC62 44号動輪

44号機は32号と同じような経歴を辿っており、梅小路に配置され小樽築港へと転属しています。前述した通り15号機に部品を譲って廃車されたことになっていますが、動輪は全て15号機と交換したわけでは無いのか小樽駅の職員専用駐車場に設置されており、小樽駅のホームからも確認できます。ナンバープレートにはこれまたC62 2と書かれていますが、44号機の刻印があるそうです。近づいて見れないのが残念です。元々は小樽築港機関区で展示されていたもので、機関区の閉鎖後に移設されたそうです。

 

番外編ですが、他の形式の釜の足回りとして残っていた釜も居たようです。

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京都鉄道博物館で保存されているC59 164号

梅小路蒸気機関車館、現在の京都鉄道博物館に展示されているC59 164にはC62形の動輪が2つもあります。

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第一動輪に残るC62 49号の刻印

第一動輪にはなんとラストナンバー機である49号機の刻印が残っており、解体されてしまった49号の姿を現在に留めているようです。49号機は尾久から平に転属した釜で、終始東北本線常磐線系統を走り続けたカマだったようです。

右第三動輪にはこちらも非常に興味深く、19号機の刻印が確認できるそうです。その下にはさらにC59 182の刻印が確認されており、C59からC62、再び違うC59という興味深い経緯を辿った動輪のようです。

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今回はC62形の動輪について書いてきました。ネットの情報や書籍の情報を元にしています。今回調べていて動輪1つ1つにも深い歴史があるんだなと感動してしまいました。個人的にはC59形とC62形という2形式間での交換があったのも興味深かったです。

 

<参考文献>

竹島紀元編『驀進!C62ニセコ』(鉄道ジャーナル社、1988年)

<参考サイト>

「機関車データベース」『デゴイチよく走る!』<http://d51498.com/db/>(2022-05-30参照)

「c62」『全国保蒸気機関車写真集』<http://kaze1189.watson.jp/newpage221.html>(2022-05-30参照)

「保存車のページ」『汽車・電車1971~』<http://c5557.photoland-aris.com/hozonki.htm>(2022-05-30参照)