Sunagawa Railway

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徒然なるままに「三井芦別炭鉱 開坑時期の坑道状況」

徒然なるままに3回目は前回に引き続き宮本正雄の論文読み取りから、開坑した頃の坑道状況について書いていこうと思う。

初めに第一坑について記述していく。「第3表 沿革」(https://dl.ndl.go.jp/pid/2370621/1/20)によると1939年7月に第一坑が開坑し、9月には第一〜第三隧道が貫通している。これは西芦別から第一坑の坑口までの427.5mの区間に設置された電車線用の合計300mになる3本の隧道であった。この区間の開通が第一坑開発最初の運搬工程に対する工事である。坑道についてはこの時点では掘削されていない。

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翌1940年1月に営業開始とあることから、1月には427.5mの位置に北部水準坑(+216m)が開通したと推測する。北部水準坑は1970年代後半には閉坑しているようだが、写真の輸斜路の延長上、川の対岸にあったものと考える。

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同年3月、北部斜坑開坑となっており、第一坑では戦時下という状況に迫られたこともあり、初期の段階から水準化の開発が行われたものと想像する。北部斜坑は本卸(+215m)と副卸(+213m)があり、平均傾斜16度で本卸は深度120m、副卸は深度45mに至っていた。斜距は本卸423m、副卸141mであった。巻上機は本卸が400HP、副卸が200HPで、本卸がおおよそ2倍の馬力を持っていたことがわかる。このことから本卸は斜坑の長さでは3倍、巻上機の馬力では2倍のスペックを持っていたことがわかる。北部斜坑は写真中央部にある凹みが該当し、左側が本卸、右側が副卸だったと推測する。

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1940年5月には石炭の輸送を開始し、10月には選炭機が水洗での選炭を開始したとある。この選炭機は前回の考察から、バウム式水洗機であろうことが予想される。

1944年7月、南坑では第二竪入を掘鑿開始している。第一についての記述がないので不明だが、南坑は少なくとも2本の坑口があったということだろうか。

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1944年10月、高根第二炭鉱を買収し、東坑と命名している。この高根第二炭鉱は一坑の高根地区と呼ばれる地域にあったと推定でき、具体的には高根地区は西芦別及び中ノ丘の対岸にある低地だと推測する。この地域には早い時期から住宅が存在し、第一坑から見ても東側にあることから、可能性が非常に高い。

 

1947年4月、南部斜坑の開発が開始されている。南部斜坑は「北海道鉱山学会誌」の「三井芦別炭鉱の立坑による開発計画」(https://dl.ndl.go.jp/pid/2370650/1/17)によると、水準大立入の奥に斜坑が設置されていることがわかる。

 

1948年6月、桂澤坑が廃止されているが、開坑時期の記述がないため、実際に設置されていた場所は不明である。

 

1948年8月、北部斜坑排気風道を着工している。

 

1948年9月、桂澤坑に桂澤新斜坑を設置している。

 

1949年5月、元高根第二炭鉱であった東坑を廃止している。

 

ここまでが第一坑の初期の歴史である。現時点では不明要素が多いため、今後加筆していければと思う。

 

 

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