Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

砂川に架かる鉄道橋梁群(メモ)

砂川の由来はアイヌ語の「オタウシナイ」だ。これは「砂の多い川」を表すもので、元来この地域は泥土質で川の流路も安定しないような地域であった。そのため、砂川駅の前後には数多くの橋梁が架けられている。今回はこれらの橋梁をメモ程度に取り上げる。

北方資料データベースで閲覧可能な1932年発行の『線路一覧略図』を見てみると函館本線起点側から見て現在の砂川市にあたる地域には奈井川橋梁、登世平川橋梁、下歌志内川橋梁、上歌志内川橋梁、石狩川第一橋梁が架けられており、歌志内線には上歌志内川橋梁、第二号川橋梁が架けられていた。『線路一覧略図』で確認できるデータは以下の通りで、ガーダー橋は9.14mスパン、トラス橋は30.48mスパンを基本として倍数の橋梁が架けられていることがわかる。括弧内の数字はスパンの長さ(単位はm)を表す。

函館本線

・奈井川橋梁(2-9.14)2列 現存せず

・登世平川橋梁(9.14)2列

・下歌志内川橋梁(18.29)3列 現存せず

・上歌志内川橋梁(18.29)

石狩川第一橋梁(2-18.29、3-30.48、1-60.96、4-18.29) 現存せず

歌志内線

・上歌志内川橋梁(19.29)

・第二号川橋梁(6.10) 現存せず

現在ではこれに加えて河川改良で生まれた奈井豊平川とペンケウタシナイ川にも橋梁が架けられている。また、厳密には橋梁ではないが上路ガーダーを用いた転車台(18.29)が設置されていた。

 

下歌志内川橋梁

下歌志内川橋梁は砂川駅の札幌方に架かる橋梁で、パンケウタシナイ川を跨いでいる。現在はコンクリートで固めたものになっており、1932年の18.29m3列のものではないと考えられる。この橋梁は開業当時は木橋で架けられており、明治26年下半期の『第九回報告』ではパンケ歌白川に架かる橋梁の「橋臺及橋柱」が完成、明治27年上半期の『第十回報告』では「橋梁木桁ヲ鐵桁ニ改架」する工事に着手し、明治27年下半期の『第十一回報告』で「鐵桁架設」が竣工したとある。

1911年当時の下歌志内川橋梁(https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/iiif/viewer.html?id=b/0B054060010000000&canvasId=81より)

明治44年の姿を写した写真が北方資料データベースの『東宮殿下行啓記念(上)』に掲載されており、当時は単線の上路ガーダー橋だったことがわかる。また、背景には三井物産砂川木挽工場があり、下歌志内川(現在のパンケウタシナイ川)沿いには三井物産が敷設した木材運搬用の専用軌道が確認できる。奈井江~砂川間の複線工事は1926年12月1日に行われており、橋梁の複線化はこの時期に行われた可能性が高く、この時点では単線となっている。

また、橋梁がコンクリート橋に変更された時期についてだが、国土地理院で公開している米軍の航空写真のうち1948年8月4日に撮影された『USA-R342-56』では上路ガーダー橋に見えるのに対して、1952年9月26日に撮影された『USA-R139-102』ではコンクリート橋が設置されていることから、1948~1952年の間に架け替えが行われたと推測できる。

 

上歌志内川橋梁

上歌志内川橋梁(2022年6月6日撮影)

上歌志内川橋梁は砂川駅の旭川方に架かる橋梁で現在は2本が使用されており、歌志内線用の1本がレール・枕木を撤去された上で存知されている。また、かつては引上線用にもう1本架けられており、橋台にはその名残が残っている。

 

第一空知川橋梁(石狩川第一橋梁?)

周辺では最も長い橋梁で、現在架かっているのは1979年に架け替えが終了した複線トラス橋だが、この橋梁は何度か架け替えを行っている。土木学会附属土木図書館が提供する『橋梁史年表』では第一空知川橋(上記の石狩川第一橋梁と同様と考えられる)について記述が確認できた。必要な情報を下記に記す。

・(1)第一空知川橋1892-2-1(1-61、3-30.5)

・(2)第一空知川橋1898-7-16(1-63.4、3-30) 1916年落橋、1919年架け替え

・(3)第一空知川橋1902-7-16(1-61、3-30.5、6-18.3)

・(4)第一空知川橋1919-(1-62.4、3-31.4)

・(5)第一空知川橋(上り)1952-(2-62.4)

・(6)第一空知川橋(下り)1956-(3-62.4) 1979年架け替え

これらの記述も重複する個所や怪しい点が見受けられるため、今後元になった資料にあたる必要がある。

sunagawarailway.hatenablog.com

1919年設置とされる(4)は「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』によると設計荷重E33の102呎11吋(RF-2)のトラス橋で同様のものは39連作られ、1919年に作られた3連が第一空知川橋梁で使用された。構造は「下路プラット」で、横河橋梁製作所で製造された。また、204呎8吋(RF-14)のトラス橋も1918年に1連作られ、1919年に設置されている。こちらも設計荷重E33、構造は「下路ワーレン」で、横河橋梁製作所で製造された。第一空知川橋梁(三代)は札幌方から(2-18.29、1-31.37、1-62.38、2-31.37、4-18.29)という構成だったようだ。

 

1952年には桁を一部再利用して第一空知川橋梁(四代)が架けられた。1956年には複線化工事が行われ、下り線の橋梁も新設されている。1952年の工事は河川改修によって流路が変わり、安全に支障が出るために橋脚の新設と一部桁の新設を行ったもので『凾館本線空知太、瀧川間 第一空知川橋梁改良工事槪要』に詳細が記録されている。これによると第一空知川橋梁(四代、上り)は札幌方から(5-19.2、1-31.37、1-62.38、2-62.4)という構成になっている。このうち、(1-31.37、1-62.38)の桁は三代目の再利用だ。「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』では102呎11吋の桁は1952年に1連が撤去され、2連がそのまま利用されたことになっている。しかし、正しくは1連のみを再利用し、2連はそのまま存知した。後に下り線新設工事の時に1連を移設再利用し、もう1連を解体している。(2-62.4)はRM-27と呼ばれた下路ワーレン構造で、昭和26年に製造された。

1956年の複線工事では『札幌工事局70年史』によると三代目の橋台・橋脚の一部、102呎11吋トラス1連を再利用して下り線を新設した。第一空知川橋梁(四代、下り)は札幌方から(2-19.2、1-23.0、2-19.2、1-31.37、3-62.4)という構成になっている。再利用は(1-31.37)のみで、他はすべて新設となっている。これらのうち(3-62.4)はRM-28と呼ばれ、1955年に日本橋梁、1956年に春本鐵工所で製造された。

 

また、1979年の架け替えについては以前記事にしたのでこちらも参照してほしい。

sunagawarailway.hatenablog.com

 

参考文献

・札幌鐵道局保線課「凾館線留萠線」『線路一覽略圖』(札幌鐵道局、1932年2月)

・北海道炭礦鐵道『第九回報告』(北海道炭礦鐵道、1894年4月30日)

・北海道炭礦鐵道『第十回報告』(北海道炭礦鐵道、1894年10月31日)

・北海道炭礦鐵道『第十一回報告』(北海道炭礦鐵道、1895年4月30日)

・北海道廳『東宮殿下行啓記念(上)(下)』(北海道廳、1911年7月18日)

・西村俊夫「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』(研友社、第14巻、第12号、pp.7-47、1957年12月10日)

・久保田敬一「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』(鐵道大臣官房研究所、第22巻、第2号、1934年1月15日)

鉄道博物館学芸部「鉄道マンの仕事アルバムー鉄博フォトアーカイブ展」『鉄道博物館企画展』(鉄道博物館、2019年3月9日)

・「空知川橋梁徑間二百呎構桁引揚應急工事槪況」『帝國鐵道協會會報』

・札幌鐵道管理局『凾館本線空知太、瀧川間 第一空知川橋梁改良工事槪要』(日本国有鉄道、pp.18-25,図1-2,図11、1952年7月)

日本国有鉄道札幌工事局70年史編纂委員会『札幌工事局70年史』(日本国有鉄道札幌工事局、1977年3月30日)

未調査文献

・守田久盛、坂本真一「北海道の鉄道」『鉄道路線変せん史探訪』(吉井書店、1992年7月)

・北海道総局『北海道鉄道百年史 下巻』(日本国有鉄道、1976年)

・大村卓一『北海道線第一空知川橋梁災害応急工事概要』(大村卓一、1916年)

・北海道廳『北海道官設鉄道工事写真帖』(北海道廳、1897年頃)

参考サイト

・『北海道大学北方資料データベース』(北海道大学附属図書館)<https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/>(2022-08-17参照)

・『地図・空中写真閲覧サービス』(国土地理院)<https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1>(2022-08-17参照)

・『橋梁史年表』(土木学会附属土木図書館)<http://www.jsce.or.jp/library/page/h_bridge.shtml>(2022-08-17参照)

・「支笏湖と山線~王子軽便鉄道~(9)」『王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛』(2021年1月25日)https://shikotsuko-yamasen.com/1059.html>(2022-08-17参照)

・「空知川第一橋梁の生涯」『王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛』(2021年2月23日)https://shikotsuko-yamasen.com/1192.html>(2022-08-17参照)

空中写真

・『USA-R342-56』(米軍、1948年8月4日)

・『USA-R139-102』(米軍、1952年9月26日)

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