Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

遠軽駅跨線橋

遠軽駅大正4年に湧別軽便線の駅として開業した。跨線橋の設置時期は不明だが、昭和7年の「網走線 名寄線 石北線」『線路一覧略圖』では設置されておらず、昭和15年10月の「遠軽(1/2500)」『停車場平面図』では跨線橋を確認することができる。跨線橋の配置は階段を3つ持ち、駅舎側に2つ配置されている。これは現行跨線橋と同様の配置だ。遠軽町を撮影した「サトウ寫眞館」撮影の絵葉書『遠輕町全景』では古レールを用いた跨線橋が写っている。筋交いの配置などを確認してみると現行の跨線橋と一致していることが判明した。同封されている絵葉書には『遠輕尋常高等小學校』と記載があり、尋常高等小学校が存在した昭和16年以前に発行された絵葉書であることが特定できる。このことから現行跨線橋は昭和7~15年の間に設置されたと推測できる。

遠軽駅の現行跨線橋

戦後、昭和23年5月7日に撮影された航空写真『USA-R267-21』では戦前からと思われる跨線橋が確認でき、昭和52年10月3日に撮影された『CHO77-16 C16-6』でも同じ位置に跨線橋が確認できる。

story.engaru.jp

他にも遠軽町が公開している『えんがる歴史物語』でも「蒸気機関車の頃の遠軽駅」と説明された写真に8パネルプラットトラスの跨線橋が写っている。撮影時期は不明だが、ここで着目したいのはD51 678号が写っていることだ。「機関車データベース」『デゴイチよく走る!』によると678号機は昭和23年に下関から遠軽機関区に転入し、北見機関区に貸し出しされることはあったものの昭和44年に小樽築港機関区に転出するまで約21年間を石北本線で過ごしている。このことから少なくとも昭和44年までには跨線橋が新しくなったと推定できる。また、更に時期を絞れる要素としてD51 678号の改造歴を「機関車データベース」『デゴイチよく走る!』で確認すると、昭和28年に苗穂工場にて「重油併燃装置(680ℓ)(A型)取付」、昭和34年に同じく苗穂工場で「運転室特別整備・旋回窓取付・煙突長さ改良化」されている。この写真に写る678号機は「重油併燃装置」らしきものは確認できるものの、「旋回窓」は確認できない。このことから写真の撮影時期は昭和28~34年の間だったのではないかと考えられる。これらのことから戦前の図面類と戦後の航空写真、『えんがる歴史物語』掲載写真を参考にすると少なくとも遠軽駅の現行跨線橋は昭和7~15年の時点で設置されたと推測でき、昭和28~34年の時点では間違いなく存在していたことが判明した。

湧別方の階段部分

ここからは現存する跨線橋部分を見ていこう。Google Mapの測定機能によると跨線部分のスパンは約15m、通路幅は約3m、階段部分の長さは約8m、通路幅は約3m、跨線橋の階段配置は平行配置だが駅舎側ホームの湧別方にも階段が付属している。この階段は更に狭く、約2m程度(1829mm?)しかない。この数値から遠軽駅は『線路及停車塲』に定めるところの「九呎跨線橋(階段幅九呎)三線跨 丙ノ一」に該当する。ホーム幅の測定値が約6mだったことから、遠軽駅に関してはホーム幅も跨線橋も比較的小さめの設計だったようだ。

構造は脚部分が平底部分を接合した古レール柱と古レールの筋交い補強(☒型)で構成されている。

階段部分の内装

階段部分は平底部分を接合した古レール柱で構成し、補強材にも古レールを用いている。階段を構成する斜材については木材を用いている。内装についても木造で出来ている。

跨線部分についても古レールを用いており、8パネルのプラットトラス構造となっているのが特徴だ。底面については古レールを用いた横桁を渡して、その上に木造の縦桁を載せ、更に床板を載せている。また、跨線部分の端部も古レールの筋交い補強(☒型)で処理している。

跨線部分の小屋組は下弦材に古レール、斜材に羽子板ボルトのような金属部品、垂直材に木材を用いたハウトラスを組んでいる。砂川駅のキングポストトラスに斜材を加えることでハウトラスにしたような形だ。小屋組の上に直接木造屋根を載せており、床板についても木造のままで残されている。

士別駅跨線橋古レール刻印

UNION D 1890 K.T.K

RSW 1908 IRJ

ON TENNESSEE 6040 ASCE - 10 - 1919 IGR 工

ON TENNESSEE 6040 ASCE - 5 - 1923 IGR 工

部材として使われている古レールの刻印についても見ていく。まず最も古いものではドイツのUNION社の明治23年製のものが跨線部分の旭川方の斜材で確認できた。次にドイツのライン製鋼所の明治41年製のものが跨線部分の床を支える水平材で確認できた。最後にアメリカのTENNESSEE社のものが複数の箇所で確認できた。これについては大正8、12年製のものが確認できている。これらのことから遠軽駅跨線橋に使われている部材は確認できているだけで明治23年大正12年のものが使われていたようだ。

遠軽駅跨線橋はプラットトラスを用いた跨線橋であること、内装材だけでなく小屋組や階段部分の斜材など木材を多用していることからコンクリートを用い始めた士別駅の跨線橋よりは古い跨線橋であると考えられる。また、小屋組、床構造共に国縫駅と一致していることから遠軽駅跨線橋国縫駅跨線橋は同時期に設置されたものと推測している。

 

参考文献

・札幌鐵道局保線課「網走線 名寄線 石北線」『線路一覧略圖』(札幌鐵道局、1932年2月)

・「遠軽(1/2500)」『停車場平面圖』(札幌鐵道局、1940年10月)

・『遠輕町全景』(サトウ寫眞館、昭和期)

・『遠輕尋常高等小學校』(サトウ寫眞館、昭和期)

・『USA-R267-21』(米軍、1948年5月7日)

・『CHO77-16 C16-6』(国土地理院、1977年10月3日)

sunagawarailway.hatenablog.com

sunagawarailway.hatenablog.com

sunagawarailway.hatenablog.com

sunagawarailway.hatenablog.com