Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

砂川駅跨線橋

砂川駅は明治24年函館本線・歌志内線の駅として開業した。跨線橋の設置は明治31年、北海道内各駅においても比較的早い時期だと考えられる。これは北海道庁が設置した上川線の開通に備えたものであり、この当時の砂川駅には乗換駅として重要な役割が与えられていたと言える。砂川市郷土資料室所蔵の『空知郡砂川村三井木挽工場及運輸路線』によると跨線橋の階段配置は互い違いで、現存する跨線橋と同様のものであった。この時代の写真は確認できていない。

次に砂川駅の跨線橋に変化が訪れるのは上砂川支線の開通によるものだ。三井鉱山大正7年11月に敷設した専用鉄道だった上砂川支線だったが、大正15年には国有化と旅客化が行われることになり、3月から7月にかけて駅構内の工事が行われている。この前後(大正14年説もあり)に跨線橋も延長されたと考えられ、明治31年に作られた部分に取り付くような形で古レール造の跨線橋60mが設置されている。この時期については『砂川停車場』という絵葉書によって確認することができる。『専用線ヒストリー ①砂川編ー三井専用鉄道と川口砂利鉄道ー』掲載の写真14では上砂川支線跨線橋の外壁・屋根設置前の姿を確認することができる。明治31年に竣工したと思われる木造跨線橋は木造縦張りで上り線側に張り出し部分が存在している。写真や末期の上砂川支線跨線橋の通路幅から推測できる規模として『線路及停車塲』に定めるところの「九呎跨線橋(階段幅九呎)三線跨 丙ノ一」に該当するのではないかと考える。形状は北海道の跨線橋で多く見られた階段の途中で90度折れ曲がり、再び階段を上がるもので、この構成は現行跨線橋の下り線ホーム側において引き継がれている。このような北海道特有の跨線橋構造は『シーナリィ・ストラクチャー ガイド 1』でも指摘されている。上砂川支線部分はレールでワーレントラスを組んでおり、少なくとも10パネルプラットトラス2個、4パネルワーレントラス1個が確認できる。4パネルワーレントラス部分は古レールで出来ているかが写真からは不明だが、電化時の嵩上げ時にもそのままの高さで残されたため、一段低い不思議な空間を生み出していた。

砂川駅の現行(2代目?)跨線橋

『砂川市史』によると昭和11年7月に跨線橋が20m延伸されたとある。この跨線橋はガーダー桁を用いた現在も残る古レール跨線橋桁の複合跨線橋だと考えられる。また、「砂川(1/2500)」『停車場平面図』と「砂川」『札鉄管内構内圖表』を見比べると昭和15年から昭和20年までの間にテルファーを装備した貨物用の跨線橋も設置されたことがわかる。昭和43年には札幌~滝川間の電化工事が行われた。『砂川市史』によると砂川駅跨線橋の改良があり、この時に跨線橋の嵩上げが実施されたことがわかる。跨線橋の嵩上げの痕跡は上砂川支線跨線橋の4番ホーム側の一段低い部分や、跨線橋の脚部分に痕跡が残っていた。平成6年には上砂川支線が廃止され、上砂川支線跨線橋の使用が停止された。しかし、跨線橋自体の撤去は直ちには行われず、平成16年頃の「地域交流センターゆう」の建設直前まで残されていた。

「地域交流センターゆう」に保存された古レール

上砂川支線跨線橋に用いられていたレールの一部は「地域交流センターゆう」内に展示されており、阪鶴鉄道明治30年10月製の刻印が確認できる。解説によると跨線橋設置当時に使われたものとあり、上砂川支線旅客化から外壁・屋根設置、電化によるかさ上げを生き残って使われ続けた部材だったようだ。以下に解説板の内容を掲載する。

上砂川線跨線人道橋に使用されていた古レール

上砂川線は1918年(大正7年)に三井砂川鉱業所石炭運搬専用線として開通し、その後、1926年(大正15年)に国鉄に引き継がれて一般旅客線となりました。

跨線橋は、1925年(大正14年)に一般旅客線の運行に先立ち建設され、1994年(平成6年)に上砂川線が廃止されるまで、69年間に渡って利用された後、2004年(平成16年)に一部が解体されました。

このレールは、1897年から1901年まで輸入されたアメリカのイリノイ社製のもので、阪鶴鉄道(尼ヶ崎・福知山間)が発注した1897年製のものです。

本線で使用された後に、ホームや跨線橋を建設する際に構造材として再利用されたもので、道内ではほとんど発見されていない希少なものです。

レール刻印

6015 ILLINOIS STEEL Co SOUTH WKS X 1897 HANKAKU

ここからは現存する跨線橋部分を見ていこう。Google Mapの測定機能によると跨線部分のスパンは約14m、通路幅は約3m、階段部分の長さは約11m、通路幅は約3m、跨線橋の配置は上下線のホーム配置に合わせて互い違いの配置となっている。この数値から砂川駅は『線路及停車塲』に定めるところの「九呎跨線橋(階段幅九呎)三線跨 丙ノ一」に該当するが、跨線橋とホーム端部の距離は3175mmもあるようには思えない。この辺りはホーム幅の測定値が約5mだったことから、内地の国有鉄道とは当初の構造基準が違ったことに由来する可能性が考えられる。

跨線橋の脚部分と階段部分

構造は脚部分が平底部分を接合した古レール柱とリベットのあるⅠ字型の材料(板材、L字アングル材で構成)、古レールの筋交い補強で構成されており、上り線ホーム側はⅠ字型の部材より下については古レール剥き出しではなく補強されたものになっている。これは電化工事の嵩上げによって行われた改良に思える。

脚部分の☒型補強

脚部分の◭型補強

脚部分の古レール部材における筋交い補強(☒型)は階段が取り付く側以外の3面(上り線ホーム側のみ、下り線ホーム側については2面)について行われており、筋交いに着目すると右上から左下に至る部材側が切り欠きなしで支えている。階段下にあたる面は三角形(◭型)の補強が行われている。補強材については2本以上のレールを束ねるような部材は用いられていない。

跨線橋の階段部分

階段部分は脚とつながる部分はガーダー桁、延長部分はコンクリートを用いている。階段部分のガーダー桁は脚部分から伸びてきたⅠ字型部材と接合されており、板材、L字アングル材を中心に底辺側は古レールによる補強も施されている。

延長部分との接合部

延長部分との接合個所は古レールを並列にしたり、溶接した跡もあることから嵩上げ工事によって大きな変化を加えられたものと考えられる。特に延長部分はコンクリートを用いているだけでなく、金属部分も古レールではなくH鋼などの規格品を用いていることがわかる。

跨線橋の跨線部分の端部

跨線部分については脚部分にも跨る形でガーダー桁を用いている。このことから橋梁用のガーダー桁を転用したものではなく、跨線橋用に製作された部材なのではないかと推測される。同様の桁を用いた跨線橋として北海道内においては追分駅が挙げられる。追分駅の跨線橋の設置時期は判然としないが、構法が似通っていることから同時期の竣工なのではないだろうか。

跨線部分の小屋組

階段部分の天井

跨線部分の小屋組は木造の単純なキングポストトラスで、階段部分の天井は梁材の上に屋根を支える桁材が3本載せられている。

現行跨線橋と上砂川支線跨線橋の基礎

上砂川支線跨線橋の痕跡はそこまで残っていないが、上り線ホーム上に上砂川支線跨線橋の基礎部分が残されていることが数少ない痕跡と言えるだろう。

 

砂川駅跨線橋年表

明治31年 初代跨線橋設置

大正7年11月 三井鉱山専用鉄道開業

大正14年 上砂川支線跨線橋設置

昭和11年7月 現行(二代目?)跨線橋設置

昭和10年代後半 テルファークレーン設置

・昭和43年 電化工事による嵩上げ実施

・平成6年5月 上砂川支線廃止、上砂川支線跨線橋使用停止

・平成6年 「地域交流センターゆう」工事に向けて上砂川支線跨線橋撤去

 

参考文献

・『空知郡砂川村三井木挽工場及運輸路線(縮尺千二百分之一)』(三井物産、明治期)

・『砂川停車場』(不明、大正以降)

・砂川『専用線ヒストリー ①砂川編ー三井専用鉄道と川口砂利鉄道ー』(空知鉄道遺産研究所、2023年3月11日)

・木原英一『線路及停車塲』(鐵道學會出版部、1937年7月15日)

・片野正巳『シーナリィ・ストラクチャー ガイド 1』(機芸出版社、1988年4月25日)

・砂川市史編纂委員会『砂川市史』(砂川市役所、1971年2月20日)

・「砂川(1/2500)」『停車場平面図』(札幌鐵道局、1940年10月)

・「砂川」『札鉄管内構内圖表』(札幌鐵道局列車運行課、1945年6月1日)

 

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