Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

2022年11月のトップページ

2022年11月のトップページ

プラレールや保存車/廃車体等をメインにしたブログを運営する「砂川」です。元々は「保存車とプラレール」「砂川鉄道の保存車とプラレール日誌」「砂川鉄道広報課」というブログを運営していました。

当ブログではプラレールを中心に保存車/廃車体等の鉄道趣味のメジャーではない部分に焦点を当てて取り扱っていきたいと思います。文章力が無く下手な文章となってしまうかもしれませんが読んで頂けると幸いです。
 

今月のトップページは、10月半ばに札幌市内の「モエレ沼公園」で行われた「第7回プラレールひろばinさっぽろ」での1枚です。「第7回プラレールひろばinさっぽろ」では北海道全体を再現するようなレイアウトになっており、その一部に丘和車両さんのモジュールを活かした炭鉱鉄道ゾーンを作らせていただきました。地理的には空知地区にあたる部分であり、上砂川支線、歌志内線、根室本線、三井芦別鉄道、夕張鉄道(やはさん設計)をモチーフに配置しました。写真は上砂川駅周辺を写したもので、三井鉱山砂川鉱業所のホッパーや砂川中央立坑、手前には上砂川駅舎も写っています。車両はぐりとまくんとやはさんからお借りしたキハ56系を使って「さよなら上砂川支線号」を再現しています。運転会当日はキハ22形700番台や三井芦別鉄道DD501(青流製作)やD51形(ともちんさん製作)が牽く石炭列車が走行していました。閉場後はキハ56形だけでなくフラノエクスプレス(KTRくん製作)で撮影していました。なかなか自分の運転会でも空知地区に焦点を当てることが少なく、このような形で空知の炭鉱鉄道を再現出来て本当に楽しかったです、本当にありがとうございました。

 

重要なお知らせ
2022年夏のコミックマーケットC100で頒布した「専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー」ですが、「空知鉄道遺産研究所」名義でBoothでの通販を開始しました。下記のリンクにも追加しておきました。また、目次欄にも「空知鉄道遺産研究所」を追加しました。
 
初代ブログ「保存車とプラレール
二代目ブログ「砂川鉄道の保存車とプラレール
三代目ブログ「砂川鉄道広報課」
初代バスブログ「朝日カラーのバスブログ」
二代目バスブログ「赤白バスに魅せられて
在籍プラレール団体ブログ「JOIN-T
同人誌通販店舗「空知鉄道遺産研究所
ブログ内目次
 
プラレールの改造はメーカーであるタカラトミー様は推奨していません。改造はあくまで自己責任でお願いします。改造されて怪我等をされても当blog及びメーカー様は一切の責任を負いません。
*肖像権が関わる画像や企業名などが写っている画像は予め加工しています。
*敷地内で撮影した画像は全て許可を得て撮影しています。

2022年12月のトップページ

2022年12月のトップページ

 

プラレールや保存車/廃車体等をメインにしたブログを運営する「砂川」です。元々は「保存車とプラレール」「砂川鉄道の保存車とプラレール日誌」「砂川鉄道広報課」というブログを運営していました。

当ブログではプラレールを中心に保存車/廃車体等の鉄道趣味のメジャーではない部分に焦点を当てて取り扱っていきたいと思います。文章力が無く下手な文章となってしまうかもしれませんが読んで頂けると幸いです。
 

今月のトップページは、11月半ばに訪問した函館・摩周丸です。函館に行くのは1年ぶりでしたが、函館朝市や十字街、五稜郭などを訪問しました。本当は函館公園やロシア領事館なども見てみたかったですね、これらは今後の課題としておきましょう。少し寒い時期ではありましたが函館空港に降り立ち、市電や街並みを楽しみました。特に函館は何度も大火に見舞われた経験から防火帯としてグリーンベルトが整備されているのが都市空間的な特徴ですね。また、戦前の建物や開拓使などに関係する建物がいくつか残っているもの建築的な目線で函館を見るときの良いところです。五稜郭で歴史上の偉人を思い浮かべるのもいいかもしれません。今ならゴールデンカムイなどでも旬な地域ですよね。

私個人的には函館港周辺の風景が好きだったりします。かつての繁栄を思わせる広い函館駅構内から始まり、有名な函館朝市を通って海産物を勧められながら朝市を抜けると青函連絡船が見えますね。函館は北海道の玄関口として青森との間に鉄道連絡船が就航していました。函館に係留されて保存されている摩周丸は青い船体が特徴の美しい船です。ここに来る度、青函連絡船が就航していた時代に思いを馳せます。たまにはフェリーにのって津軽海峡を越えたいものですよね。

 

重要なお知らせ
2022年夏のコミックマーケットC100で頒布した「専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー」ですが、「空知鉄道遺産研究所」名義でBoothでの通販を開始しました。下記のリンクにも追加しておきました。また、目次欄にも「空知鉄道遺産研究所」を追加しました。
 
初代ブログ「保存車とプラレール
二代目ブログ「砂川鉄道の保存車とプラレール
三代目ブログ「砂川鉄道広報課」
初代バスブログ「朝日カラーのバスブログ」
二代目バスブログ「赤白バスに魅せられて
在籍プラレール団体ブログ「JOIN-T
同人誌通販店舗「空知鉄道遺産研究所
ブログ内目次
 
プラレールの改造はメーカーであるタカラトミー様は推奨していません。改造はあくまで自己責任でお願いします。改造されて怪我等をされても当blog及びメーカー様は一切の責任を負いません。
*肖像権が関わる画像や企業名などが写っている画像は予め加工しています。
*敷地内で撮影した画像は全て許可を得て撮影しています。

『専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』

当記事では、私が「空知鉄道遺産研究所」名義で最初に発行した同人誌専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』関係の記事を集約することにします。

 

夏コミ(C100)での同人誌頒布 2022年8月6日投稿

前から同人誌を出したいと言い続けていましたが、ようやく現実になったので告知します。今回頒布するのは1冊、「空知鉄道遺産研究所」名義で出すことになりました。頒布場所は東4ホールヨ-11a、サークル「サツエキ3番」さんの場所で委託となります。何事もなければ私も朝から参加するのでよろしくお願いします。

専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』

本題となります今回の頒布物ですが、専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』となります。北海道の砂川駅にかつて存在した専用線の歴史や配線、写真などを可能な限り調査しています。砂川駅には三井の木工場の専用線石狩川で産出される砂利を運んだ砂利線、三井砂川炭鉱から産出される石炭を運ぶために専用線として開通した上砂川支線などがありました。今はその痕跡も少なくなっていますが、市町村史や社史、砂川市郷土資料室の貴重な写真などから専用線の全貌を纏めています。廃止から年数が経った専用線となると記録も少なく、鉄道趣味者の視点での専用線研究ですが、郷土の歴史にも触れることができるような本を目指しました。
B5判40ページ白黒印刷、500円で頒布する予定です、機会があれば是非手に取ってください。

表紙は1960年代の『鉄道ピクトリアル』のデザインを参考に製作しました。写真は三井木材工業砂川工場での木材荷役作業と川口砂利鉄道の記念写真を使用しています。どちらも砂川市郷土資料室所蔵の貴重な写真です。裏表紙は木工場(三井木材工業)と砂利場、そして砂川駅を俯瞰した写真を使用しています。こちらは北海道博物館所蔵の空中写真で1960年前後に撮影されたものです。砂川駅はいくつかの専用線を持っていますが、最もメインとなるのは木工場(写真手前の工場)と砂利場(写真奥のヤード)でした。これを示せる象徴的な写真ということでこの写真を使用しています。空中写真の下には砂川駅の配線図を掲載しています。これは私自身が作図したもので、黒線が函館本線、黄緑線は上砂川支線(旧三井鉱山専用線)、赤線は三井木材工業専用線、青線は非営業用側線(砂利線等)となっています。

 

夏コミ(C100)での同人誌頒布結果 2022年8月14日投稿

C100での「サツエキ3番」さんのスペース

昨日、2022年8月13日に行われたC100にて以前お知らせした同人誌を販売してきました。今回は委託ということで、サークル「サツエキ3番」さんで売り子をしながらの参加でした。売り子したり、実際に自分の本を売ったりするのは初めての経験ですがすごく楽しかったですね。

頒布数は20冊程度(友人に頼まれたもの含む)でしたが、少しでも砂川駅に興味を持っていただくきっかけとなったらいいなと思います。今回は訂正を兼ねて配線図のカラー版を掲載します。誌面では白黒になっており非常に見づらい図版となってしまい申し訳ございません。

p.18 配線図1(カラー版)

p.36 配線図5(カラー版)

誌面では白黒になってしまうため赤線があまり確認できませんでした。配線図1は米軍が1952年に撮影した『USA-R139-102』をベースマップにしています。三井木材工業専用鉄道は工場内を囲むような線路配置となっており、余談ですが国道12号線の改修工事が行われています。配線図5は『USA-R342-56』をベースマップにしています。今回の調査で明らかになった川口砂利鉄道(緑線)と砂川砂利工産軌道(赤線)の図です。重要な写真がわかりづらくなってしまい申し訳ございません。実際はこのような図となっています。

初めての同人誌製作でいろいろ至らぬ点があり、印刷後の様子は実際に会場で手を取ってからわかったため翌日の訂正となり申し訳ございません。次回以降はこのような点も無いよう気を付けて製作したいと思います。今回の記事に載せた図以外もたくさんの図版や写真を掲載しています。今後機会があれば手に取っていただけると嬉しいです。

 

BOOTHでの同人誌販売について 2022年8月26日投稿

sunagawarailway.booth.pm

夏コミ(C100)で販売した専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』BOOTH様で販売することにしました。通販的なものに出品するのは初めてなのですが、ちゃんと対応できるよう頑張ります。興味があったらよろしくお願いいたします。販売価格は700円+送料となります。販売冊数は少なめになっています。コミケ以降も知人や博物館・図書館への寄贈などで冊数が減っており、今後の在庫の様子や金銭状況見ながら、次のコミケまでには再び発行するかもしれません。

 

同人誌の寄贈先 2022年11月23日追記

夏コミ(C100)で販売した専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』ですが、下記の博物館、図書館等に寄贈しました。基本的には関連する自治体や卒業論文で関わりのあった博物館などに納めています。実際に閲覧できるのは2022年11月23日現在は国立国会図書館奈井江町図書館のみです。順次他の図書館でも見られるようになると思います。もし同人誌に興味がありましたら下記の図書館で閲覧してみてください、BOOTH様での販売も継続していますのでそちらもよろしくお願いします。博物館関係は開架には置いていないはずですので閲覧は不可だと思いますのでご注意ください。

・北海道博物館

・北網圏北見文化センター

・砂川市郷土資料室

国立国会図書館

・北海道立図書館

滝川市立図書館

奈井江町図書館

 

専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』の値下げ 2022年12月1日追記

sunagawarailway.booth.pm

夏コミ(C100)で販売した専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー』を2022年12月1日~30日までの間は値下げすることにしました。年末には新刊の専用線ヒストリー様似編ー幻の三井軌道を追ってー』(予定)を書きあげる予定です。そちらも無事に書きあがったらよろしくお願いいたします。

 

空中写真

・『USA-R342-56』(米軍、1948年8月4日)

・『USA-R139-102』(米軍、1952年9月26日)

sunagawarailway.hatenablog.com

三井芦別鉄道キハ100形

三井芦別鉄道キハ100形キハ101
三井芦別鉄道キハ100形は、1958年1月に客貨分離を行うために導入されました。湘南顔の前面を持つ20m級の気動車新潟鐵工所にて3両製造されました。実際の運用では客車を挟み込んだDTD編成なども行っており、かなり特徴的な列車に使われていました。三井芦別鉄道では1972年には旅客営業を中止し、キハ100形は3両全て関東鉄道に譲渡されました。関東鉄道では後に鹿島鉄道となる鉾田線で運用されていましたが、1990年には引退しています。
元々上砂川同様に三井資本であった三井芦別鉄道には興味がありました。しかし、湘南顔という設計経験のない形状の車両であり、なかなか作る機会を得ることが出来ませんでした。2022年10月に行われた「第7回プラレールひろばinさっぽろ」では、炭鉱鉄道ゾーンを担当させて頂くことになり、これは何か作るしかないと決意を固め、初めての湘南顔にチャレンジすることにしました。設計には少々苦戦しましたが、無事に湘南顔を形にして完成させることが出来ました。

キハ101側面
側面はキハ22形の図面をベースにキハ21形を設計し、その図面と以前製作したキハ10形の図面を組み合わせることで作成しました。製作する上で大変だったのはやはり戸袋窓でしょうか、Hゴムが多くなかなかに大変な作業でした。

羽幌炭礦鉄道キハ22形との並び
羽幌炭礦鉄道キハ22形と並べてみました。どちらもフルスクラッチで設計ベースは同じですが、前面も裾の長さも違うため大きく印象が変わります。

キハ101前面
キハ100形の前面は湘南顔になっており最も苦戦した個所です。骨組みは4mm高さの二等辺三角形を使っており、それをベースに湘南顔を再現しています。

キハ101屋根上
屋根上はキハ22形のような長方形ベンチレーターの互い違い配置ではなく、正方形ベンチレーターを中央に配置していたようです。湘南顔部分のオデコ付近も表面処理に苦戦しましたが、最後まで諦めなかったため満足できる出来になりました。

羽幌炭礦鉄道キハ22形との並び
こうした並びは実現していないと思いますが、北海道の炭鉱は自社で旅客車両を保有することも多く、国鉄線に乗っていると様々な車両と出会うことが会ったのではないでしょうか。
 
種車:新メカ台車

塗装:B-513 Mr.スーパークリアー光沢

   B-515 Mr.サーフェイサー1200スプレー

   S-13 Mr.カラースプレーニュートラルグレー

   S-124 Mr.カラースプレー暗緑色(三菱系)

   GM05 ガンダムマーカーガンダムシルバー

   GM10 ガンダムマーカーガンダムブラック

   XGM02 ガンダムマーカーEXシャインシルバー

   SP-28 鉄道スプレー西武アイボリー

車歴:2022年10月10日 落成
   2022年10月14~15日 第7回プラレールひろばinさっぽろ走行

2022年10月のトップページ

2022年10月のトップページ

プラレールや保存車/廃車体等をメインにしたブログを運営する「砂川」です。元々は「保存車とプラレール」「砂川鉄道の保存車とプラレール日誌」「砂川鉄道広報課」というブログを運営していました。

当ブログではプラレールを中心に保存車/廃車体等の鉄道趣味のメジャーではない部分に焦点を当てて取り扱っていきたいと思います。文章力が無く下手な文章となってしまうかもしれませんが読んで頂けると幸いです。
 

今月のトップページは、ずっと行きたいと思っていた魚梁瀬森林鉄道での1枚です。写真に写る構造物は立岡二号桟道と呼ばれるもので奈半利の貯木場から魚梁瀬へ向かう路線の一部となっています。建設は1933年、コンクリートガーダー橋と石積みの築堤で構成されています。魚梁瀬森林鉄道中でも代表的な以降となっており、経済産業省の近代化産業遺産群に認定されています。また、魚梁瀬森林鉄道自体が「ゆずとりんてつ」というストーリーで文化庁の日本遺産に認定されています。魚梁瀬森林鉄道に行く計画自体は2020年のコロナ禍に入った頃からありました。しかし、なかなか状況が悪かったり都合が合わなかったりで延期に延期を重ねて実行できずにいました。今年ようやく覚悟を決めて砂川トラベル四国編の実施に踏み切りました。魚梁瀬森林鉄道以外にも住友別子鉱山や下灘駅など2019年の四国ツアーでは行けなかった場所に行くことが出来たのも大きな収穫です。次はどこに行きましょうか。

 

重要なお知らせ
2022年夏のコミックマーケットC100で頒布した「専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー」ですが、「空知鉄道遺産研究所」名義でBoothでの通販を開始しました。下記のリンクにも追加しておきました。
 
初代ブログ「保存車とプラレール
二代目ブログ「砂川鉄道の保存車とプラレール
三代目ブログ「砂川鉄道広報課」
初代バスブログ「朝日カラーのバスブログ」
二代目バスブログ「赤白バスに魅せられて
在籍プラレール団体ブログ「JOIN-T
同人誌通販店舗「空知鉄道遺産研究所
ブログ内目次
 
プラレールの改造はメーカーであるタカラトミー様は推奨していません。改造はあくまで自己責任でお願いします。改造されて怪我等をされても当blog及びメーカー様は一切の責任を負いません。
*肖像権が関わる画像や企業名などが写っている画像は予め加工しています。
*敷地内で撮影した画像は全て許可を得て撮影しています。

2022年9月のトップページ

2022年9月のトップページ

プラレールや保存車/廃車体等をメインにしたブログを運営する「砂川」です。元々は「保存車とプラレール」「砂川鉄道の保存車とプラレール日誌」「砂川鉄道広報課」というブログを運営していました。

当ブログではプラレールを中心に保存車/廃車体等の鉄道趣味のメジャーではない部分に焦点を当てて取り扱っていきたいと思います。文章力が無く下手な文章となってしまうかもしれませんが読んで頂けると幸いです。
 

今月のトップページは、3年ぶりに行われた「プラレールひろばinちゅうおう」での1枚です。一部ご存じの方はいるかもしれませんが、私が初めて島田に行ったのは2013年の春でした。当時中学生だった私を仲間に入れてくれたことで今の私があると思っています。その時に持っていったのが6050系とキハ40形でした。そのため、ここ数年は毎年この2車種を持って行って当時と同じ構図で撮影しています。3年ぶりの開催ということでお客さんが来てくれるか未知でしたが、生憎の雨の中たくさんのお客さんが来てくれて本当によかったなと思います。これからも「プラレールひろばinちゅうおう」が続くといいですね。主催の雅さん、参加された皆様本当にありがとうございました。

 

重要なお知らせ
2022年夏のコミックマーケットC100で頒布した「専用線ヒストリー砂川駅編ー木工場と砂利場を支えた専用線ー」ですが、「空知鉄道遺産研究所」名義でBoothでの通販を開始しました。下記のリンクにも追加しておきました。
 
初代ブログ「保存車とプラレール
二代目ブログ「砂川鉄道の保存車とプラレール
三代目ブログ「砂川鉄道広報課」
初代バスブログ「朝日カラーのバスブログ」
二代目バスブログ「赤白バスに魅せられて
在籍プラレール団体ブログ「JOIN-T
同人誌通販店舗「空知鉄道遺産研究所
ブログ内目次
 
プラレールの改造はメーカーであるタカラトミー様は推奨していません。改造はあくまで自己責任でお願いします。改造されて怪我等をされても当blog及びメーカー様は一切の責任を負いません。
*肖像権が関わる画像や企業名などが写っている画像は予め加工しています。
*敷地内で撮影した画像は全て許可を得て撮影しています。

第一空知川橋梁の変遷

以前から記事にしている第一空知川橋梁ですが、ようやく資料がまとまってきたので一つの記事にしようと思います。

第一空知川橋梁の架かる区間(砂川~滝川駅間)の函館本線北海道庁の手によって1898年7月16日に開通しました。開通当時の第一空知川橋梁は「北海道と台湾の200ftダブルワーレントラス鉄橋」『土木史研究講演集』によると製造元である英国のストライキにより材料の到着が遅れ、開通当時は木造の仮橋を使用していたとあります。開通前年の1897年に作成されたとする『北海道官設鉄道工事写真帖』の写真が「北海道大学北方資料データベース」で公開されており、第一空知川橋梁に関係する写真として「上川線空知川架橋基礎工事」、「上川線空知川鉄道仮橋」が確認できます。残念ながらパブリックドメインにはなっていないため公開することは出来ませんが、これらの写真から1897年当時は木造の仮橋を用いており、この状況は開通当時も同様だったようです。当時の資材運搬は鉄道に頼っていたことを考えると、仮設であっても重要な運搬ルートだったのでしょう。木造の仮橋の隣には煉瓦積の橋脚が建設中であり、開業時くらいまでには永久橋の橋脚は完成していたと考えられます。仮橋と書いてある通り、これは工事用の仮設物ととらえることとするため、ここでは開業翌年の1899年に設置された永久橋を第一空知川橋梁(初代)とします。

 

第一空知川橋梁(初代)

第一空知川橋梁(初代)と同型の虎尾鉄橋(2020年2月27日撮影)

「北海道と台湾の200ftダブルワーレントラス鉄橋」『土木史研究講演集』によると初代橋梁は1899年に架設され、架設当初は単に「空知川橋梁」だったようです。全長439ftのうち、200ft(正確には208ft)のスパンにイギリス製のトラス桁(PP-12)を架けており、残りはすべてプレートガーダーを用いていたとあります。この208ft桁であるPP-12は現在支笏湖の湖畔にある人道橋「山線鉄橋」となって現存しています。「山線鉄橋」は元々王子製紙軽便鉄道の「第一千歳川橋梁」として1924年に設置されたもので、製造当初は第一空知川橋梁の208ft桁であったことが、「支笏湖湖畔橋の歴史に関する一考察」『土木学会北海道支部論文報告集』で明らかにされています。これによると山線鉄橋(論文発表当時の名称は「湖畔橋」)は「形態、寸法等より、明治中期に架設された、ポーナル型ピン結合トラスPP-11、PP-12、およびPP-13のいずれかが移設されたことは間違いない」とあり、残っている写真から1927年7月には第一千歳川橋梁が現在の場所に設置されていたことが判明しています。また、北海道内に設置された208ftのポーナル型ピン結合トラスは第一空知川橋梁と「第一石狩川橋梁」の二つのみであり、第一石狩川橋梁は1927年10月に架け替え工事中の写真が撮影されていることから、「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』によると1919年に撤去されたことになっている第一空知川橋梁から移設してきた可能性が高いことを杉本の研究では明らかにしています。

第一空知川橋梁に架けられていたPP-12は同型のPP-11、PP-13を合わせると国鉄だけで111連架けられており、私鉄や台湾の虎尾鉄橋なども合わせると更に多くの数が製造されたと考えられます。虎尾鉄橋は日本に運ぶ予定だったものの船が沈没し、当時の清国が引き取ったものだったことが石川らの研究によって明らかにされています。他にも国内にはいくつか残っているようです。

第一空知川橋梁について触れたものとして「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』という文献もあります。

同年9月7日ノ水害ニテ

(中略)

空知川橋脚モ破損シタル爲メ列車ノ運轉中絶シ月餘ノ後復舊セリ、空知川ニハ100呎3連、200呎1連、60呎鈑桁6連、是ニ架スルニ200呎構桁ハぽーなる型、100呎ハぷらっと型ヲ用ヒタリシモ大正8年設計荷重E33設計ノ構桁ニ架換ヘラレタリ

久保田敬一「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』(鐵道大臣官房研究所、第22巻、第2号、1934年1月15日)、18頁。

これによると1898年9月7日の水害で橋脚が破損し1か月余り列車が不通になったこと、200ft(実際には208ft)のトラス桁1連のほかに100ftのトラス桁3連と60ftのプレートガーダー6連が用いられていたことが記述されています。実際に100ftのトラス桁(P-1)に関しては「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』にも記述があり、5連作られたうち第一空知川橋梁にて3連が使用されたとあり、構造は錬鉄製の下路プラットトラス桁です。また、208ftの方は錬鉄製の下路ダブルワーレントラス桁と表記されています。また、1919年には設計荷重がより大きい桁に交換したことまで書かれています。

他にも「空知川橋梁徑間二百呎構桁引揚應急工事槪況」『帝國鐵道協會會報』には1916年5月当時の第一空知川橋梁の平面図が記載されており、札幌方から(30ft、208ft、100ft×2、60ft×4)という構成だったようです。この資料によると1916年5月7~8日にかけて空知川の氾濫が発生し、8日午後2時ごろには基礎が流され、208呎トラス桁(PP-12)が落橋したことが書かれています。掲載された写真でも208ftトラスの隣には100ftトラス桁(P-1)が2連繋がっていたことがわかります。流されたのは札幌方の30ft桁と208ft桁の橋脚で、208ft桁は半分ほど水に浸かっています。工事の経過も詳細に書かれており、5月23日には早くも橋梁の復旧が行われたようです。

これまで初代第一空知川橋梁についての記述を確認してきました。これらを整理すると208ft桁が使われていた以外は記述がバラバラなことがわかります。

(1)石川らの研究(2019) 全長439ft 208ftトラス桁以外はプレートガーダー

(2)久保田の研究(1934) 全長860ft 100ftトラス桁×3、208ftトラス桁、60ftガーダー×6

(3)帝國鐵道協會會報の記述(1916) 全長712ft 30ftガーダー、208ftトラス桁、100ftトラス桁×2、60ftガーダー×4

空知川は経路も変わり、明治から大正に移るまでも大きく変わった可能性があるため、橋梁自体の全長が変動すること自体は十分に考えられます。(1)は開業当初の数値でその後に改修が行われて全長に変化が生まれ、途中でトラス桁を増やしたとすれば納得できます。また、「空知川第一橋梁の生涯」『王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛』に掲載されている写真でも別のトラス桁は確認できません。(2)は久保田の研究(1934)に始まり、西村の研究(1957)も久保田の記述を参考にしていると考えられます。西村が整理したトラス桁の分類で第一空知川橋梁に使われた100ftトラス桁はP-1という番号が振られており、同様の桁は5連製作されたことになっています。5連のうち3連は第一空知川橋梁に用いられており、残りは下幌向川橋梁(1882)、下幾春別川橋梁(1882)の2連で、製造時期が第一空知川橋梁のものとは離れています。ここからはあくまで仮説ですが、P-1桁は2連のみ製作されて第一空知川橋梁の改修に伴い上記の橋梁から移設してきたのではないでしょうか。確認できている写真でも、『帝國鐵道協會會報』の図面にも100ftトラス桁は2連のみしか確認できません。このため3連あったという記述自体に誤りがあるのではないかと考えました。これらのことから当初の第一空知川橋梁は全長439ft、208ftのトラス桁(PP-12)を用いていた以外はプレートガーダーを用いており、後の改修などで(3)の図にある通り全長712ft、30ftプレートガーダー、208ftトラス桁(PP-12)、100ftトラス桁×2(P-1)、60ftガーダー×4という構成に変化していったと推測しています。今後の課題として100ftトラス桁(P-1)の詳細調査が必要と考えています。

PATENT SHAFT

AXLETREE C. L.

ENGINEERS

1899

WEDNESBURY

山線鉄橋に残る銘板より

最後に現在も残る208ftトラス桁について簡単に記述します。このトラス橋はPATENT SHAFT & AXLETREE C. L.(英国)製の200ftピン構造ダブルワーレントラス橋で、1899年にWEDNESBURY工場で製作されました。このトラス桁の設計はCharles. A. W. Pownallが行い、ポーナル型と呼ばれています。

 

第一空知川橋梁(二代)

執筆中

第一空知川橋梁(三代)

執筆中

第一空知川橋梁(四代)

sunagawarailway.hatenablog.com

 

参考文献

・北海道廳『北海道官設鉄道工事写真帖』(北海道廳、1897年頃)

・帝國鐵道協會「空知川橋梁徑間二百呎構桁引揚應急工事槪況」『帝國鐵道協會會報』(帝國鐵道協會、第17巻、PP.62-63、1916年12月)

・久保田敬一「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』(鐵道大臣官房研究所、第22巻、第2号、1934年1月15日)

・西村俊夫「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』(研友社、第14巻、第12号、pp.7-47、1957年12月10日)

・杉本博之「支笏湖湖畔橋の歴史に関する一考察」『土木学会北海道支部論文報告集』(土木学会、Vol.49、pp.59-62、1993年)

・石川成昭、木下宏「北海道と台湾の200ftダブルワーレントラス鉄橋」『土木史研究講演集』(土木学会Vol.39、pp.119-126、2019年)

参考サイト

・『北海道大学北方資料データベース』(北海道大学附属図書館)<https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/

・「空知川第一橋梁の生涯」『王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛』(2021年2月23日)<https://shikotsuko-yamasen.com/1192.html>(2022-08-17参照)