485系は、国鉄が1964年から製造を開始した481系の50/60Hz対応車として製造されたグループで、全国各地の電化路線で活躍しました。製造当初はボンネット型の前面でしたが、1972年以降は分割・併合を考慮して貫通型を採用するようになりました。今回製作したのは更に後の1974年以降に採用された非ボンネット型の非貫通顔の300番台以降を基盤とするグループで、片側のクハは300番台に属します。中間車は1000番台で、1976年以降から製造が開始された本州向け耐寒耐雪強化型です。また、片側のクロハは元々485系への改造を考慮したうえで181系として製造されたサロ181-1101で、1978年の製造後5年でサロ481-1501になり、1990年にはクハ481-1104として特急「ひたち」用の先頭車になり、1993年には「ビバあいづ」用としてクロハ481-1501になるといったように流転の車生を辿っています。これらの車両たちは「ビバあいづ」時代に集結し、2003年には4両編成で勝田車両センターに転属してK40と名乗ります。2005年には白い車体に青とグレーを配した塗装に変更され、2013年の引退までこの姿で走ります。私が製作したのはこのK40編成時代の姿となっています。
クハ481-345は製品の先頭車の塗り替えがメインで側面はそのまま使用しています。
モハ481-1053も製品の中間車を無加工で塗り替えています。
落成までに3年以上の月日を費やしたモハ485-1053は製品の中間車をベースに屋根を埋めなおし、複製した先頭車の冷房を設置しています。
メインとなるクロハ481-1501は窓配置を大きく変えています。元々が181系であり、グリーン車なのもあって小窓が連続するような窓配置となっています。そのため窓の縦桟を切ってプラ棒を用いて再配置しています。
前面はタイフォン部分の変更、エンブレムの除去、屋根上のライト撤去を行っています。青流の1500番台と比べるとかなり違いがあることがわかります。
イルカのマークは青流がデカールを製作してくれました。これが設置されたことでより勝田車の雰囲気が出てきます。ヘッドマークは秋に運転されていた快速「ぶらりおとぎ街道号」にしています。阿武隈急行線に乗り入れて仙台~福島間を走っていた快速列車で、オリジナルのヘッドマークが用意されていました。
加工としては難しいものではなかったのですが、3年以上かけて仕上げたモハ485-1053です。冷房は均等配置ではなく、客室の上に載るような実車同様の配置としています。
尾久駅で乗務員訓練していた頃も青流のK60編成と合わせることで再現できるようになりました。
塗装:B-513 Mr.スーパークリアー光沢
B-515 Mr.サーフェイサー1200スプレー
B-518 Mr.ベースホワイト1000スプレー
S-1 Mr.カラースプレーホワイト(白)
S-13 Mr.カラースプレーニュートラルグレー
S-80 Mr.カラースプレーコバルトブルー