Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

上砂川支線を走った気動車たち

今回は上砂川支線を走った気動車たちを紹介します。

上砂川支線の気動車列車の歴史は意外にも長く、1959年には運行開始しています。

昭和三十四年五月一日からはジーゼルカーが運行されることになった。これは三井砂川鉱業所が通勤客利用者のため国鉄に陳情していたものであるが、鉱業所が一千六百五十万円の利用債を引受けて実現した。一日二両連結のもの十四本、三両連結のもの四本計一日十八往復に増加された。

砂川市史編纂委員会『砂川市史』(砂川市役所、1971年2月20日)、1515頁。

このように三井鉱山による陳情と利用1,650万円の引き受けによって、1959年5月1日というかなり早い段階で気動車が導入されたというのは特筆に値します。この時期は2両編成14本、3両編成が4本の1日18往復もの気動車列車が運行されており、最末期の6往復の実に3倍も走っていたようです。

最初期に運行されていた気動車はキハ21形だったようです。確認できた番号は41、58の2台でした。キハ21形は1957年に製造されたキハ20系のグループで、84両が製造されました。客室窓の二重窓化等を行っていますが、デッキが無かったことで冬季の車内温度に難があったことから1958年にはキハ22形の投入に切り替えられています。上砂川支線での運行開始は導入2年後で、新車ではないものの比較的新しい車両が投入されたようです。利用債を引き受けての運行開始で新車ではなく不満があったのか、従業員輸送でデッキ無しが重宝されたのか、当時の人々や三井鉱山がどのように思ったかは定かではありません。

待望のディーゼル・カー走る 昭和34年5月1日

『思い出の上砂川支線』(北海道旅客鉄道)

上砂川支線の廃止時期に発売されたオレンジカードには、気動車の運行開始日とキハ21形らしい車両の写真が載っています。側面はバス窓で、扉の位置からデッキが無いようです。貫通扉のステップ部分には58と書かれていることから、キハ21 58だったことがわかりました。このキハ21 58は後に荷物車兼用にするため、ロングシートに改造されて100番台に区分されたキハ21 102になっています。また、「上砂川支線」『ギャラリー弐番館』では、1978年3月にキハ21 41が走っていた記録もありました。

<車歴>

・キハ21 41(新潟鐵工所、1957年11月7日製造、札幌)→(1980年11月12日廃車、苗穂)

・キハ21 58(帝國車輛工業、1957年12月21日製造、旭川)→キハ21 102(苗穂工場、196年9月改造)→(1980年12月17日廃車、苗穂)

次にキハ16・17形です。1970年代後半には苗穂機関区所属の車両が入線していた記録をInstagramで2件確認することが出来ました。確認できた番号はキハ16 93、キハ17 254の2台でした。キハ16形は便所無し片運転台車、キハ17形は便所付き片運転台車となっています。どちらも1977年に廃車されており、写真の日付が「昭和52年」になっていることから、最末期に上砂川支線を走っていたことがわかります。その後はキハ21形が再び引き継いでいるようです。

<車歴>

・キハ16 93(帝國車輛工業、1955年4月1日製造、札幌)→(略)→(1977年12月26日廃車、苗穂)

・キハ17 254(日本車輌製造、1955年12月3日製造、札幌)→(略)→(1977年11月4日廃車、苗穂)

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上砂川支線で活躍したキハ40形100番台(イメージ)

次にキハ40形です。キハ40形は何回かに分けて主力車両になっていたようです。1983~87年3月頃と、1989~1990年3月頃までは首都圏色のキハ40形100番台が走っていました。確認できた番号は113(→838)、134(→726)、136(→708)、139(→767)、150(→789)、169(→)、178(→814)、183(→783)、184(→)、185(→762)、188(→803)、215(→730)、216(→731)、221(→733)です。キハ40形100番台は1977年に製造されたキハ40系の番台区分で、150両が製造されました。北海道用の酷寒地向け装備として、1段上昇式の二重窓とデッキを装備しています。1986年半ばから1989年前半までは一部を除きキハ54形が担当していたようで、僅かながら空白期間が存在しています。1990年代からはキハ22形700番台が投入されました。

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かつて上砂川支線を走っていたキハ40 838(←113)

キハ40 838は1982年頃、キハ40 113の時にトレインタイムスさんのツイートで確認できました。1977年に製造されて1985年には苗穂から転出しているので、キハ21形廃車から1985年頃まで走っていたものと思われます。1995年にキハ40 838に改造され、最後は函館所属で2016年3月の新幹線開業時期に廃車となったようです。函館駅で何度か遭遇していたようで、何枚か写真が残っており、これは2013年夏の夜に函館駅で撮影したものです。

キハ40 726は1984年9月、キハ40 134の時に記録が残っています。1979年製造、1986年に苗穂を転出しているので時期も合致します。1992年にキハ40 726に改造され、最後は旭川所属で2021年に廃車となりました。残念ながら撮影が叶わなかった車両です。

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かつて上砂川支線を走っていたキハ40 708(←136)

キハ40 708は1983年頃、キハ40 136の時に記録が残っています。1979年製造、1986年に苗穂から転出しており、この間の期間に入線していたようです。1990年にキハ40 708に改造され、最後は旭川所属で2021年廃車となっています。私は2020年10月の根室本線乗車時に偶然乗ることが出来ました。

キハ40 1767は1989年9月、二度目の主力車両に返り咲いた頃、キハ40 139の時の記録が残っています。700番台に改造されて以降にも記録があるため、そちらで纏めて紹介します。

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かつて上砂川支線を走っていたキハ40 789(←150)

キハ40 789は1986年6月、キハ40 150の時に記録が残っています。1980年に製造され、1988年まで苗穂に所属していました。1994年にはキハ40 789に改造され、最後は苫小牧所属で2018年廃車となっています。岩見沢運転所で寝ている姿を2013年夏に撮影していました。

キハ40 1745は1986年6月、キハ40 169の時に記録が残っています。1980年に製造され、当初は釧路に配置されましたが、この時期に上砂川支線での運用が目撃されています。これは仮説ですが、根室本線の運用の合間などで用いられていたのではないでしょうか。後に釧路所属のキハ27・56形がラッシュ時に2両で入線していた時期もあります。1991年にはキハ40 745に改造されたうえで旭川に転属しています。2011年には1700番台に改造されています。現在も旭川に所属していますが、残念ながら撮影できていません。

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 1814(←814←178)

キハ40 1814は1983年8月、1986年8月の2回、キハ40 178の時にmgpc64さんの「1983年8月 北海道全土のりある記 根室本線の混合列車編」『1980年代国鉄撮影日記』で確認できました。また、1986年8月、キハ54形に車両が変更される直前も運用に入っている記録が残っています。1980年に製造され、1993年まで苗穂に所属していました。1994年にはキハ40 814に、2008年には1700番台に改造されています。北海道新幹線開業により誕生した道南いさりび鉄道に移籍し、現在は山吹色の塗装を纏っています。2015年夏に函館駅で撮影し、道南いさりび鉄道に移籍した後も撮影しています。

キハ40 1783は1989年2月、キハ40 183の時に記録が残っています。1980年に製造され、1993年まで苗穂に所属し、キハ40 783に改造されたうえで苫小牧に転属しています。2006年には1700番台に改造されています。現在も苫小牧に所属していますが、撮影出来ていない個体の一つです。

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 1784(←784←184)

キハ40 1784は1987年3月、キハ40 184の時に記録が残っています。1980年に製造され、1993年まで苗穂に所属し、キハ40 783に改造されたうえで苫小牧に転属しています。2006年には1700番台に改造されています。現在は旭川に所属しており、2021年に女満別駅で撮影することが出来ました。

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 1762(←762←185)

キハ40 1762は1986年8月、キハ40 185の時にトレインタイムスさんのツイートで確認できました。1980年に製造され、1992年まで苗穂に所属し、キハ40 762に改造されたうえで旭川に転属しています。2006年には1700番台に改造されています。現在は函館に所属しており、2021年には函館駅で撮影することが出来ました。

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 1803(←803←188)

キハ40 1803は1985年7月、キハ40 188の時に元鉄さんの「【軌跡28】北海道旅行 :3日目 (1985/07/25)」『国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~』で確認できました。1980年に製造され、1993年まで苗穂に所属していました。1993年に函館に転属したうえでキハ40 803に改造されています。2004年には1700番台に改造されています。現在も函館に所属しており、2021年には函館駅で撮影することが出来ました。

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 730(←215)

キハ40 730は1989年5月、キハ40 215の時に記録が残っています。1980年に製造され、当初は室蘭に配置、1984年に苫小牧に転属、1989年7月には苗穂へと転属してきました。当時の上砂川支線の運用は苗穂車だったものと思われますが、苫小牧時代の1989年5月に目撃されていることに疑問が残ります。1991年には旭川に転属したうえでキハ40 730に改造されています。現在も旭川に所属しており、2021年には滝川駅で撮影することが出来ましたが、2022年に入ってから釧路で解体されたようです。

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 359(←731←216)

キハ40 731は1984年7月、キハ40 216の時に裏辺研究所さんの「○旅行4日目~7月13日(金)~」『ひょん君撮影記』で確認できました。1980年に製造され、1991年まで苗穂に所属していました。1991年にはキハ40 731に改造されたうえで旭川に転属しています。1999年にはキハ40 359に改造されて苫小牧に転属、日高本線で活躍していました。2015年1月の高波で日高本線が不通になり、岩見沢地区などの運用にまわされました。2021年には日高本線鵡川~様似間が正式に廃線、キハ40 359も廃車となっています。キハ40 359は2009年、私が日高本線を完乗したときに乗った車両で、個人的にも思い入れが深いです。2015年7月には苗穂工場に留置されているのも目撃しています。

キハ40 733は、キハ40 139の時の記録が残っています。700番台に改造されて以降にも記録があるため、そちらで纏めて紹介します。

<車歴>

・キハ40 113(富士重工業、1977年3月8日製造、苗穂)→(1985年3月14日転属、札幌)→(略)→キハ40 838(苗穂工場、1995年2月4日改造、函館)→(2016年廃車、函館)

・キハ40 134(富士重工業、1979年8月20日製造、苗穂)→(1986年3月3日転属、札幌)→(略)→キハ40 726(旭川車両センター、1992年1月19日改造、旭川)→(2021年廃車、旭川)

・キハ40 136(富士重工業、1979年8月20日製造、苗穂)→(1986年3月2日転属、札幌)→(略)→キハ40 708(苗穂工場、1990年11月27日改造、旭川)→(2021年廃車、旭川)

・キハ40 139(富士重工業、1979年8月20日製造、苗穂)→(1986年3月4日転属、札幌)→(略)→(1988年11月3日転属、苗穂)→(1989年転属、函館)→(略)→キハ40 767(五稜郭車両所、1992年5月24日改造、釧路)→(略)→キハ40 1767(苗穂工場、2009年3月改造、苫小牧)→(2021年3月20日転属、函館)

・キハ40 150(新潟鐵工所、1980年1月12日製造、苗穂)→(1988年11月24日転属、旭川)→(略)→キハ40 789(苗穂工場、1994年1月27日改造、苫小牧)→(2018年廃車)

・キハ40 169(新潟鐵工所、1980年7月29日製造、釧路)→キハ40 745(苗穂工場、1991年12月29日、旭川)→キハ40 1745(苗穂工場、2011年2月28日、旭川)

・キハ40 178(新潟鐵工所、1980年9月13日製造、苗穂)→(1993年3月17日転属、函館)→キハ40 814(苗穂工場、1994年10月22日改造、函館)→キハ40 1814(2008年11月12日改造、函館)→道南いさりび鉄道

・キハ40 183(新潟鐵工所、1980年9月13日製造、苗穂)→キハ40 783(苗穂工場、1993年6月14日改造、苗穂)→(1993年6月17日転属、苫小牧)→キハ40 1783(苗穂工場、2006年5月13日改造、苫小牧)

・キハ40 184(新潟鐵工所、1980年9月13日製造、苗穂)→キハ40 784(苗穂工場、1993年7月9日改造、苗穂)→(1993年7月12日転属、苫小牧)→キハ40 1784(苗穂工場、2006年6月28日改造、苫小牧)→(2021年3月27日転属、旭川)

・キハ40 185(富士重工業、1980年7月7日製造、苗穂)→キハ40 762(苗穂工場、1992年9月6日改造、苗穂)→(1992年9月7日転属、旭川)→(略)→キハ40 1762(2008年8月26日改造、苫小牧)→(2021年3月20日転属、函館)

・キハ40 188(富士重工業、1980年7月7日製造、苗穂)→(1993年6月1日転属、函館)→キハ40 803(五稜郭車両所、1993年8月18日改造、函館)→キハ40 1803(2004年5月21日改造、函館)

・キハ40 215(富士重工業、1980年10月25日製造、室蘭)→(1984年2月1日転属、苫小牧)→(1989年7月1日転属、苗穂)→キハ40 730(苗穂工場、1991年7月27日改造、旭川)→(2022年廃車)

・キハ40 216(富士重工業、1980年10月25日製造、苗穂)→キハ40 731(苗穂工場、1991年8月21日改造、旭川)→キハ40 359(苗穂工場、1999年10月22日改造、苫小牧)→(2021年廃車)

・キハ40 221(富士重工業、1981年4月6日製造、苗穂)→キハ40 733(苗穂工場、1991年11月1日改造、旭川)→(2022年廃車)

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かつて上砂川支線を走っていたキハ54形(イメージ)

その後はキハ54形500番台が投入されました。1986年12月~1988年5月までは運用が確認できています。この時期のラッシュ時間はキハ27・56形の2両編成を使っています。キハ54形500番台は歌志内線との共通運用という側面があったと考えられ、歌志内線廃止後の1988年中に目撃のあった車両は他所に転出しています。確認できた番号は506、515、524の3台です。500番台は耐候性に優れるステンレス車体の採用、積雪や勾配に対応した2エンジン搭載など、実情に応じた設備を装備している一方、廃車発生品やバス部品の流用などのコスト削減も図られています。

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かつて上砂川支線を走っていたキハ54 506

キハ54 506は『北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路』の342頁に掲載されていました。正確な時期は不明ですが、新製時期から1986年12月以降の冬の写真だと思われます。現在は旭川に所属しており、2021年に美幌駅で撮影することが出来ました。

かつて上砂川支線を走っていたキハ54 515

キハ54 515はTwitter上で確認でき、投稿者によると1988年5月の撮影とあります。これは歌志内線廃止後に撮影された珍しいケースです。現在は釧路に所属しており、2021年に釧路駅で撮影することが出来ました。

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かつて上砂川支線を走っていたキハ54 506

キハ54 524は2か所のブログで確認でき、1986年12月と1987年3月末の記録があります。車歴を見る限りは1988年10月まで2台とも苗穂所属だったようなので、歌志内線廃止時期まではキハ54形が上砂川支線の運用を担っていたのではないでしょうか?

この辺りは当時の雑誌記事を漁ってみたら判明するかもしれません。現在は釧路に所属しており、2021年に釧路駅で撮影することが出来ました。

<車歴>

・キハ54 506(新潟鐵工所、1986年11月30日製造、苗穂)→(1988年10月29日転属、旭川)

・キハ54 515(新潟鐵工所、1986年12月8日製造、苗穂)→(1988年10月19日転属、旭川)→(略)→(1994年1月18日転属、釧路)

・キハ54 524(新潟鐵工所、1986年12月8日製造、苗穂)→(1988年10月23日転属、釧路)

かつて上砂川支線を走っていたキハ27・56形(イメージ)

国鉄の分割民営化前後にはラッシュ時限定でキハ27・56形が入線していた記録があります。1989年3月には少なくとも確認できています。編成は上砂川方から←キハ56 107+キハ27 32→で、両車とも釧路所属車となっています。これは根室本線間合い運用かと考えられます。

キハ27・56形「さよなら上砂川支線号」(イメージ)

また、上砂川支線の廃線直前に運転された「さよなら上砂川支線号」は1994年5月8日に6両編成、5月15日に8両編成のキハ27・56形が使われていたことが「さよなら上砂川支線」『鉄道ファン』の175頁で確認できます。『失われし北海道の鉄路』でも確認できます。これは札幌駅からの直通便であり、全車自由席で札幌~砂川は急行列車だったようです。配線の都合上、滝川駅にて折り返して入線したというのも興味深い点です。編成を正確に記録したものは確認できていませんが、書籍や写真を分析したところ

さよなら上砂川支線号(5月8日)

←上砂川駅 ←キハ56 144+キハ27・56形4連+キハ56 203→ 砂川駅→

さよなら上砂川支線号(5月15日)

←上砂川駅 ←キハ27 216+キハ27 200→+キハ56 200→+キハ56 200→+←キハ56 100?+キハ27 200→+←キハ56 200+キハ56 207→ 砂川駅→

の2本が存在していたことがわかります。『失われし北海道の鉄路』では5月15日の編成と記載されていますが、恐らく5月8日の誤りと考えられます。

<車歴>

・キハ27 32(東急車輛製造、1962年4月30日製造、札幌)→(1980年9月29日転属、釧路)→(1989年12月2日廃車)

・キハ27 216(日本車輌製造、1968年12月18日製造、苗穂)→(1992年7月1日転属、苫小牧)→(1993年3月16日転属、苗穂)→(1995年8月10日廃車)

・キハ56 107(新潟鐵工所、1963年5月18日製造、函館)→(1981年10月6日転属、釧路)→(1990年転属、苗穂)→(1991年9月11日廃車)

・キハ56 144(新潟鐵工所、1967年4月1日、苗穂)→(1995年8月10日廃車)

・キハ56 203(新潟鐵工所、1968年6月26日製造、札幌)→(1988年3月13日転属、苗穂)→(2000年3月31日廃車)

・キハ56 207(新潟鐵工所、1968年9月3日製造、札幌)→(1988年3月3日転属、苗穂)→(2000年12月11日廃車)

かつて上砂川支線を走っていたキハ22形700番台(イメージ)

その後、上砂川支線のワンマン化が行われました。その時に導入されたのがキハ22形700番台です。701、702の2台が苫小牧に配置されたうえで上砂川支線での運用に就いていたそうです。ということは室蘭本線からの普通列車に繋がれて配置区に戻ることもあったのかなと思います。最終的に700番台は、同様にワンマン化された旭川のキハ40形700番台に置き換えられて終焉を迎えました。

キハ22形「そらち号」(イメージ)

番外編としてキハ22 93+603の2両が団臨として国鉄末期の1986年8月16日に走ったという記録があります。列車名は「そらち号」で札幌→歌志内→上砂川→札幌という行程だったそうです。この2両のキハ22、カーペットに改造されているとのことで詳細が気になっているところです。

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 352(←713←155)

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 1724(←724←132)

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かつて上砂川支線を走っていたキハ40 733(←221)

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 734(←152)

かつて上砂川支線を走っていたキハ40 1747(←747←204)

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かつて上砂川支線を走っていたキハ40 1767(←767←139)

かつて上砂川支線を走っていた「フラノエクスプレス」

気動車としては最後に「フラノエクスプレス」を挙げる必要があります。キハ80系改造のジョイフルトレイン国鉄時代に登場しました。「フラノエクスプレス」は引退後も永らく苗穂工場で保管されていたので私も目にする機会が有りました。

上砂川支線に入線した「ビッグスニーカートレイン」(イメージ)

何度か入線しているようですが、1987年の「ビッグスニーカートレイン」の時にも入線しているのが意外です。

上砂川支線に入線した「フラノエクスプレス」(イメージ)

この編成は最終日にも「フラノエクスプレス」として入線しており、上砂川支線とはなかなか縁の深い編成です。

<参考文献>

・砂川市史編纂委員会『砂川市史』(砂川市役所、1971年2月20日)

・穂積規「さよなら上砂川支線」『鉄道ファン』(交友社、第34巻第8号、p.175、1994年8月1日)

・藤田吾郎「キハ35・45系車歴表」『鉄道ピクトリアル』(電気車研究会、第54巻第2号、pp.64-74、2004年2月1日)

・葛英一・藤田吾郎「キハ20系車歴表【Ⅰ】」『鉄道ピクトリアル』(電気車研究会、第59巻第9号、pp.66-81、2009年9月1日)

・工藤裕之『北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路』(北海道新聞社、2011年12月24日)

鉄道友の会気動車研究会『国鉄形車両の記録 急行形気動車』(電気車研究会、2018年3月10日)

池口英司『失われし北海道の鉄路』(イカロス出版、2020年7月30日)

<参考サイト>

・「上砂川支線」『ギャラリー弐番館』(at-train)

http://www.ne.jp/asahi/at-train/jr/rail/hokkaido/kamis/kamis.htm>(2022-01-24参照)

・「1983年8月 北海道全土のりある記 根室本線の混合列車編」『1980年代国鉄撮影日記』(mgpc64)

http://1980jnr.net/contents3-5-3.html>(2022-05-16参照)

・「○旅行4日目~7月13日(金)~」『ひょん君撮影記』(ひょん君)

http://www.uraken.net/hyon/056hokkaido2/02.html>(2022-05-16参照)

・「【軌跡28】北海道旅行 :3日目 (1985/07/25)」『国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~』(元鉄、2020年10月12日)

https://ameblo.jp/jnr-complete/entry-12635305574.html>(2022-05-16参照)

『トレインタイムス』(@TrainTimesCIC)

https://twitter.com/TrainTimesCIC>(2022-01-25参照)