Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

第一空知川橋梁の変遷

以前から記事にしている第一空知川橋梁ですが、ようやく資料がまとまってきたので一つの記事にしようと思います。

第一空知川橋梁の架かる区間(砂川~滝川駅間)の函館本線北海道庁の手によって1898年7月16日に開通しました。開通当時の第一空知川橋梁は「北海道と台湾の200ftダブルワーレントラス鉄橋」『土木史研究講演集』によると製造元である英国のストライキにより材料の到着が遅れ、開通当時は木造の仮橋を使用していたとあります。開通前年の1897年に作成されたとする『北海道官設鉄道工事写真帖』の写真が「北海道大学北方資料データベース」で公開されており、第一空知川橋梁に関係する写真として「上川線空知川架橋基礎工事」、「上川線空知川鉄道仮橋」が確認できます。残念ながらパブリックドメインにはなっていないため公開することは出来ませんが、これらの写真から1897年当時は木造の仮橋を用いており、この状況は開通当時も同様だったようです。当時の資材運搬は鉄道に頼っていたことを考えると、仮設であっても重要な運搬ルートだったのでしょう。木造の仮橋の隣には煉瓦積の橋脚が建設中であり、開業時くらいまでには永久橋の橋脚は完成していたと考えられます。仮橋と書いてある通り、これは工事用の仮設物ととらえることとするため、ここでは開業翌年の1899年に設置された永久橋を第一空知川橋梁(初代)とします。

 

第一空知川橋梁(初代)

第一空知川橋梁(初代)と同型の虎尾鉄橋(2020年2月27日撮影)

「北海道と台湾の200ftダブルワーレントラス鉄橋」『土木史研究講演集』によると初代橋梁は1899年に架設され、架設当初は単に「空知川橋梁」だったようです。全長439ftのうち、200ft(正確には208ft)のスパンにイギリス製のトラス桁(PP-12)を架けており、残りはすべてプレートガーダーを用いていたとあります。この208ft桁であるPP-12は現在支笏湖の湖畔にある人道橋「山線鉄橋」となって現存しています。「山線鉄橋」は元々王子製紙軽便鉄道の「第一千歳川橋梁」として1924年に設置されたもので、製造当初は第一空知川橋梁の208ft桁であったことが、「支笏湖湖畔橋の歴史に関する一考察」『土木学会北海道支部論文報告集』で明らかにされています。これによると山線鉄橋(論文発表当時の名称は「湖畔橋」)は「形態、寸法等より、明治中期に架設された、ポーナル型ピン結合トラスPP-11、PP-12、およびPP-13のいずれかが移設されたことは間違いない」とあり、残っている写真から1927年7月には第一千歳川橋梁が現在の場所に設置されていたことが判明しています。また、北海道内に設置された208ftのポーナル型ピン結合トラスは第一空知川橋梁と「第一石狩川橋梁」の二つのみであり、第一石狩川橋梁は1927年10月に架け替え工事中の写真が撮影されていることから、「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』によると1919年に撤去されたことになっている第一空知川橋梁から移設してきた可能性が高いことを杉本の研究では明らかにしています。

第一空知川橋梁に架けられていたPP-12は同型のPP-11、PP-13を合わせると国鉄だけで111連架けられており、私鉄や台湾の虎尾鉄橋なども合わせると更に多くの数が製造されたと考えられます。虎尾鉄橋は日本に運ぶ予定だったものの船が沈没し、当時の清国が引き取ったものだったことが石川らの研究によって明らかにされています。他にも国内にはいくつか残っているようです。

第一空知川橋梁について触れたものとして「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』という文献もあります。

同年9月7日ノ水害ニテ

(中略)

空知川橋脚モ破損シタル爲メ列車ノ運轉中絶シ月餘ノ後復舊セリ、空知川ニハ100呎3連、200呎1連、60呎鈑桁6連、是ニ架スルニ200呎構桁ハぽーなる型、100呎ハぷらっと型ヲ用ヒタリシモ大正8年設計荷重E33設計ノ構桁ニ架換ヘラレタリ

久保田敬一「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』(鐵道大臣官房研究所、第22巻、第2号、1934年1月15日)、18頁。

これによると1898年9月7日の水害で橋脚が破損し1か月余り列車が不通になったこと、200ft(実際には208ft)のトラス桁1連のほかに100ftのトラス桁3連と60ftのプレートガーダー6連が用いられていたことが記述されています。実際に100ftのトラス桁(P-1)に関しては「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』にも記述があり、5連作られたうち第一空知川橋梁にて3連が使用されたとあり、構造は錬鉄製の下路プラットトラス桁です。また、208ftの方は錬鉄製の下路ダブルワーレントラス桁と表記されています。また、1919年には設計荷重がより大きい桁に交換したことまで書かれています。

他にも「空知川橋梁徑間二百呎構桁引揚應急工事槪況」『帝國鐵道協會會報』には1916年5月当時の第一空知川橋梁の平面図が記載されており、札幌方から(30ft、208ft、100ft×2、60ft×4)という構成だったようです。この資料によると1916年5月7~8日にかけて空知川の氾濫が発生し、8日午後2時ごろには基礎が流され、208呎トラス桁(PP-12)が落橋したことが書かれています。掲載された写真でも208ftトラスの隣には100ftトラス桁(P-1)が2連繋がっていたことがわかります。流されたのは札幌方の30ft桁と208ft桁の橋脚で、208ft桁は半分ほど水に浸かっています。工事の経過も詳細に書かれており、5月23日には早くも橋梁の復旧が行われたようです。

これまで初代第一空知川橋梁についての記述を確認してきました。これらを整理すると208ft桁が使われていた以外は記述がバラバラなことがわかります。

(1)石川らの研究(2019) 全長439ft 208ftトラス桁以外はプレートガーダー

(2)久保田の研究(1934) 全長860ft 100ftトラス桁×3、208ftトラス桁、60ftガーダー×6

(3)帝國鐵道協會會報の記述(1916) 全長712ft 30ftガーダー、208ftトラス桁、100ftトラス桁×2、60ftガーダー×4

空知川は経路も変わり、明治から大正に移るまでも大きく変わった可能性があるため、橋梁自体の全長が変動すること自体は十分に考えられます。(1)は開業当初の数値でその後に改修が行われて全長に変化が生まれ、途中でトラス桁を増やしたとすれば納得できます。また、「空知川第一橋梁の生涯」『王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛』に掲載されている写真でも別のトラス桁は確認できません。(2)は久保田の研究(1934)に始まり、西村の研究(1957)も久保田の記述を参考にしていると考えられます。西村が整理したトラス桁の分類で第一空知川橋梁に使われた100ftトラス桁はP-1という番号が振られており、同様の桁は5連製作されたことになっています。5連のうち3連は第一空知川橋梁に用いられており、残りは下幌向川橋梁(1882)、下幾春別川橋梁(1882)の2連で、製造時期が第一空知川橋梁のものとは離れています。ここからはあくまで仮説ですが、P-1桁は2連のみ製作されて第一空知川橋梁の改修に伴い上記の橋梁から移設してきたのではないでしょうか。確認できている写真でも、『帝國鐵道協會會報』の図面にも100ftトラス桁は2連のみしか確認できません。このため3連あったという記述自体に誤りがあるのではないかと考えました。これらのことから当初の第一空知川橋梁は全長439ft、208ftのトラス桁(PP-12)を用いていた以外はプレートガーダーを用いており、後の改修などで(3)の図にある通り全長712ft、30ftプレートガーダー、208ftトラス桁(PP-12)、100ftトラス桁×2(P-1)、60ftガーダー×4という構成に変化していったと推測しています。今後の課題として100ftトラス桁(P-1)の詳細調査が必要と考えています。

PATENT SHAFT

AXLETREE C. L.

ENGINEERS

1899

WEDNESBURY

山線鉄橋に残る銘板より

最後に現在も残る208ftトラス桁について簡単に記述します。このトラス橋はPATENT SHAFT & AXLETREE C. L.(英国)製の200ftピン構造ダブルワーレントラス橋で、1899年にWEDNESBURY工場で製作されました。このトラス桁の設計はCharles. A. W. Pownallが行い、ポーナル型と呼ばれています。

 

第一空知川橋梁(二代)

執筆中

第一空知川橋梁(三代)

執筆中

第一空知川橋梁(四代)

sunagawarailway.hatenablog.com

 

参考文献

・北海道廳『北海道官設鉄道工事写真帖』(北海道廳、1897年頃)

・帝國鐵道協會「空知川橋梁徑間二百呎構桁引揚應急工事槪況」『帝國鐵道協會會報』(帝國鐵道協會、第17巻、PP.62-63、1916年12月)

・久保田敬一「本邦鐵道橋梁ノ沿革ニ就テ」『業務研究資料』(鐵道大臣官房研究所、第22巻、第2号、1934年1月15日)

・西村俊夫「国鉄トラス橋総覽」『鉄道技術研究資料』(研友社、第14巻、第12号、pp.7-47、1957年12月10日)

・杉本博之「支笏湖湖畔橋の歴史に関する一考察」『土木学会北海道支部論文報告集』(土木学会、Vol.49、pp.59-62、1993年)

・石川成昭、木下宏「北海道と台湾の200ftダブルワーレントラス鉄橋」『土木史研究講演集』(土木学会Vol.39、pp.119-126、2019年)

参考サイト

・『北海道大学北方資料データベース』(北海道大学附属図書館)<https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/

・「空知川第一橋梁の生涯」『王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛』(2021年2月23日)<https://shikotsuko-yamasen.com/1192.html>(2022-08-17参照)