Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

2021年7月のトップページ

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2021年7月のトップページ
プラレールや保存車/廃車体等をメインにしたブログを運営する「砂川」です。元々は「保存車とプラレール」「砂川鉄道の保存車とプラレール日誌」「砂川鉄道広報課」というブログを運営していました。
当ブログではプラレールを中心に保存車/廃車体等の鉄道趣味のメジャーではない部分に焦点を当てて取り扱っていきたいと思います。文章力が無く下手な文章となってしまうかもしれませんが読んで頂けると幸いです。
 
今月のトップページは、三重県の国見山石灰鉱業専用線廃線跡での1枚です。国見山石灰工業は2001年のベルトベア完成まで、鉄道を利用して石灰石を輸送していました。鉱山から港までわずか3km、他の鉄道との連絡も無い不思議な場所にあります。これは船舶での輸送に特化していたためで、この鉄道は製品輸送の本当に一部を担い、最終的にはベルトコンベアに代替されてしまうことになりました。ここで採れた石灰石中部国際空港の埋め立てにも使われたそうです。
私はこの鉄道を小学校の頃に知りました。当時は三重県に住んでおり、自動車で父親に連れて行ってもらったのをよく覚えています。恐らく2010年の夏の終わり頃でした。既に廃線から10年程経っていたはずですが、線路はそのままの姿で残り、機関車がズリ山に埋まっていたのがとても印象的的でした。当時は専用線廃線跡には全く興味がなかったはずですが、この専用線の記憶は不思議と残っています。さらに10年程経ち、砂川トラベルで再びこの地を訪れることになりましたが、線路は剥がされて機関車の姿もズリ山の姿も見えません。変わらずに残っていたのは鉄道の廃線跡の上に架けられたベルトコンベアと、その下に眠るもう1台の機関車です。この機関車も10年前に見ていたはずです。彼はずっとこの地で眠り続けていたのでしょう。廃線から20年経つと周辺も大きく変化します。線路も写真のように路盤が残っているのはまだいい方で、港側の区間は国見山石灰鉱業の専用道路になっていました。他の多くの廃線跡と同様、志摩半島にあるこの鉄道も緩やかにですがその痕跡が消えていくことを感じます。少しでも長く、少しでも多くの人に、写真の路盤や機関車が、この地に鉄道があったことを示してくれる足がかりになってくれるといいなと思いました。
余談ですが、小学校の時どうしてここまで来たのかを思い出しました。弟の自由工作で貝殻を拾うため三重県の砂浜に行った時だったと思います。錦向井ヶ浜遊パークに行って、国見山を通って阿曽浦で貝殻を拾ったようです。帰り道にはヒグラシの鳴き声を聞いた気がするので、本当に夏が終わるころに慌てて宿題を片付けていた時期だったのでしょうね笑
6月の砂川トラベルでは、国見山だけでなく念願の紀州鉱山にも行きました。同時に湯の山温泉や美濃町にも行ったので、この時の記事も時間を見つけて書き出したいですね。
 
 
重要なお知らせ
三代目のブログとなる「砂川鉄道広報課」を閉鎖し、現行のブログ「Sunagawa Railway」とバスブログ「赤白バスに魅せられて」に記事を振り分けました。それに伴いトップページからのリンクも無効化しました。全部ではないですが、鉄道やプラレール等の記事はカテゴリー「削除予定記事(○○)」で見れますのでもしよければご覧ください。また、バス関係の記事はバスブログの方に移行しました。バスブログへのリンクがずっと「Yahoo!ブログ」時代のままリンク切れしていたことに今更気づいたので、そちらも修正しておきました。
 
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