Sunagawa Railway

改造プラレールや保存車・廃車体をメインに取り扱っています。

第一次神栖探索編(2019年1月4日)

秋も終わりが近づき寒さが厳しさを帯びつつある頃、らいぷらから一件のLINEが送られてきた。

f:id:sunagawarailway:20200319000713j:plain

{神栖市に廃貨車めちゃくちゃあるってツイートみたから航空写真で探してたら面白いくらい出てくる}

この文と共に送られて来るのは大量の廃貨車の座標だった。神栖には廃貨車が大量に設置されており、廃貨車王国の様相を呈しているのはもちろん知っていた。しかし、全ての廃貨車の場所を知っているわけではない。見たことないような個体もいくつか見受けられた。いつも通り座標をデータに打ち込んでいき、自分自身でも廃貨車を探していく。この動作を繰り返していくと神栖周辺には廃貨車マップが出来上がっていた。

f:id:sunagawarailway:20200319001146j:plain

{茨城ヤバいな(語彙力)}{また行きたいな}

{神栖はチャリでまわりたい}

こうなってくると現地へ行きたくなってくる。

f:id:sunagawarailway:20200319001524j:plain

{砂の真似したらたった2日でこれになった()}

{多すぎなんだよなぁここ}{神栖からさらに南下するともっとある気がする}

{廃貨車だけで1日潰れる説}{砂川トラベル廃貨車編}

{1日で済まないから何度か出向いてそう}

{わかる}{1泊2日しても廃貨車以外見ることなさそう}

このように本格的に現地調査の機運が高まり「砂川トラベル廃貨車編(仮)」の計画が練られ始めた。とりあえず18きっぷの使える冬か春に決行しようという事になった。

 

1か月ほど経過した12月末

{正月のいつかなら神栖行ける}

こう送ってしまったのが発端となり意欲が再燃。常任メンバーの青流も誘って第一次探索が決行されることとなった。決行日は三が日の直後、2019年1月4日だ。それまでにデータの精度を上げる必要が出てきた。

 

年が明けて1月4日となった。普段大学に行く時間より早く起きて、東京駅へ出向く手はずだった。列車の時間は5時59分、目覚ましを止めた時間は6時16分。なんと発車時刻を17分も過ぎてしまった時間に起床するという最悪の事態。これは置いて行かれても仕方ない。そう覚悟を決め、20分後の6時36分の電車へと滑り込んだ。

正直、この段階で体調がすこぶる悪かった。というのも前日に寝付くことが出来ず4時くらいまで苦しんでおり、諦めてソファに移動したところ眠気に襲われ入眠。1時間後の目覚ましには全く気付かず、普段やらかさない寝坊となってしまったのだ。

他のルートで行けば早く着けないか、集合場所を変えればあるいは・・・・とも考えたのだが、成田線経由で間に合うのは乗車電の1本前、最期の希望すら途絶えた。諦めて集合時刻40分後に東京駅へ到着。青流とらいぷらはマックで朝食を食べているようなので、コンビニで手早く済ませることにした。盛大な起床事故を起こしつつもなんとか八重洲地下中央口改札で合流。本当に申し訳ない。

遅れたせいで鹿島神宮駅9時37分到着予定のところ10時39分に変更、レンタサイクルの使用開始時刻は10時、諸々含めるとやはり1時間程度の行動時間の削減となった。冬の日が短いという事情を考えると、かなり手痛いミスだったと言える。

東京駅からは快速列車で成田駅へ直行。辛うじて座れたお陰か、新小岩駅の新しいホームドアを見たあたりから記憶がない。寝落ちしたのだろう。目覚めると成田駅、スカ色のE217系やエメラルドグリーンとウグイス色のE231系、そしてこれから乗車する房総色の209系と色とりどりの電車が発着していた。209系に乗車し水郷の町として栄えた佐原駅へ。佐原駅での乗り換えはまさかの0番線。恐らく鹿島線開業時のものなのだろう、1番線の東側にそれはあった。

f:id:sunagawarailway:20200319183616j:plain

乗車したのは209系2000番台、車番を見るとまさかのトップナンバー。鹿島線の乗車は初で内心テンションが上がっていた。というのも鹿島線、鉄建公団AB線(地方における開発のための路線)で開業は1970年という高規格な路線なのだ。北海道の白糠線や静岡の佐久間線等、砂川トラベルでも廃線未成線を取り上げてきたが乗る機会は少ない。青流と共に「「走る未成線だ」」等と意味不明な感想を述べていた。

f:id:sunagawarailway:20200319183630j:plain

鉄建公団AB線らしい田園風景を貫くような高架区間、幅の広い川を渡る長大橋梁、素晴らしい土木構造物が続き飽きることがない。中でも北浦に架かる北浦橋梁は全長1236mで1kmをゆうに超える。しかもこの長さをトラス橋ではなく、54連の上路プレートガーダー橋で超えるのだからますます面白い。鉄建公団の高規格路線に様々な感想を抱きつつ、列車は鹿嶋市へと入った。車窓にはワムハチが現れ、いよいよ廃貨車王国へと入った実感が湧いてきた。

鹿島神宮駅は1面2線の高架駅、鹿島臨海鉄道も乗り入れるため運転上の接続駅でもある。残念ながら鹿島臨海鉄道の車両は停まっていなかったので、今回の旅では見る事が無いのだろうと思いつつ改札階へと降りる。コンコースへと降りると長蛇の列が見えた。どうやら初詣シーズンというのもあり、Suicaでそのまま乗り越してしまった人々が精算をしているようだ。幸いにも18きっぷだった私たちには何も関係なく、有人改札で切符を見せながら難なく通過することが出来た。

f:id:sunagawarailway:20200319183643j:plain

鹿島神宮駅はかなり立派な駅だった。神宮とか一宮とつく駅は周辺に大きめの神社があることが多いため、外観が日本の伝統的建築を模した駅が多い。しかしここは天下のキングボンb・・ではなく鉄建公団が造った駅なだけあり、近代的な高架駅そのものの外観をしていた。強いて言うなら屋根が高架から張り出しているのが僅かに自己主張しているのかもしれない。駅前の坂を登り、レンタサイクルを借りる施設へと向かう。

道中、古そうな室外機の群れ(#こうすけ案件)を発見してKousukeにLINEを送っている間に「ミニ博物館ココシカ」へと辿り着いた。青流が手早く手続きを終えて、係の方が自転車の用意と道案内をしてくれた。今回の自転車は電動アシスト付きだ。係の方が「これ使ったら普通の自転車漕げなくなりますよ笑」と言っていてまさか?と思っていたが、現に帰ったら少しペダルが重く感じられたので、あながち嘘でもないようだ。

電動アシスト自転車でサイクリングを始める。砂川トラベルではレンタサイクルが度々登場する。市街地では自動車よりも機動力が効き、保存車を巡るのに最も適しているからだ。まずは神栖方面に一直線、、と行く予定だったのが早速寄り道。よくあるチェーン店ではないおもちゃ屋を発見してしまった。いかにも「まちのおもちゃ屋さん」風なのが気に入ったが、荷物を前半で増やしたくは無いのですぐに撤収。今度こそ神栖方面に向かうのだった。

f:id:sunagawarailway:20200319183655j:plain

この旅の目的は廃貨車、ワムハチを初めに撮影。車番が読み取れたが銘板は無し。

f:id:sunagawarailway:20200319183708j:plain

f:id:sunagawarailway:20200319183720j:plain

f:id:sunagawarailway:20200319183733j:plain

f:id:sunagawarailway:20200319183745j:plain

こんな調子でワムハチワムハチワラワムハチと無数にある神栖地区の廃貨車をSDカードへと記録していく。詳細はいつか別記事か同人誌で語るとしよう。

f:id:sunagawarailway:20200319183758j:plain

既に解体されてしまった個体もいくつかあり、来るのが遅かったという事を実感する。

製鉄所を横目に神栖市へと入る。そう、この段階まで神栖市に入ってすらいなかったのだ。ハードオフを偶然見かけたので、休憩を兼ねて入店。特に目ぼしい物も無かったので、秒で退店し南下を再開した。青流が「山岡家」に入ったことが無いというのもあって、昼飯は「山岡家」に決定。「山岡家」は国道沿いに店舗を置くラーメンチェーン店だ。発祥は茨城県牛久市だが、北海道での出店が成功したのか現在の本社は札幌にあり、北海道の味と記憶している方も多いかと思う。

f:id:sunagawarailway:20200319183812j:plain

スガキヤと同様にネギが大量に載っている「特製味噌ネギラーメン(840円)」を注文。ラーメンを食べながら午後のルートを検討する。青流が廃貨車見飽きて胃もたれしていそうなので次は廃バスを見に行くことに決定。

ラーメンを完食し次は常陸利根川方面へと向かう。自転車のアシストをONにしてひたすら南下し、息栖神社を横目に見ながら北浦から流れてくるという常陸利根川左岸に辿り着いた。道中、未発見の個体に遭遇したりバスの車庫を見たりもしたがそれなりの速度を維持し遅れを挽回。

f:id:sunagawarailway:20200319183826j:plain

常陸利根川は海に近いのもあり、埼玉県の河川とは比べ物にならない水量で圧倒された。付近の廃バスを見学し、今度は神栖駅へと向かうことにした。途中、東国三社(香取神社鹿島神宮・息栖神社)の一つの息栖神社の入り口が見え、神社好きの私は寄りたかったのだが、今回は時間もなく初詣で混雑しており断念。再履修案件を一つ増やした。

神栖駅へ向けて北上、時間も無いので途中の廃貨車や廃コンは取りこぼすことにした。そうした努力の甲斐もあり、神栖駅の周辺に着くまでに要した時間は20分前後だった。

f:id:sunagawarailway:20200319183838j:plain

時間を捻出したので神栖駅へ向かう前に少し寄り道、以前神栖駅構内に置いてあったと思われるヨ8000形(車番不明)を見学。今回の旅では初となる車掌車だ。

f:id:sunagawarailway:20200319183851j:plain

神栖駅に隣接する公園に入ると早速18Dコンテナを発見。

f:id:sunagawarailway:20200319183904j:plain

神栖駅構内にはDD13形の様なセンターキャブのKRD64形が停まっている。鹿島臨海鉄道の貨物列車は初めて見た。

f:id:sunagawarailway:20200319183918j:plain

f:id:sunagawarailway:20200319183930j:plain

周囲には神栖駅旅客ホームと駅前通りらしきものが見えた。1983年まで旅客営業していた名残だ。2005年に復活運行した時の物かもしれないが真相は如何に・・・・

「これが駅前通りか、まあ上茶路駅よりは立派じゃね?笑」

「いや、上茶路駅の駅前通りは道道だから」

「確かに笑」

結局どっちが立派かはわからないが、公園の中にある神栖駅の方が安心感がある。その後はタンク車転用の水槽や廃貨車をいくつか見学しつつ、北上していくことにした。この時点で15時27分、レンタサイクルの返却時間は16時、かなりピンチなことを自覚し自転車を全力で漕ぐ。道中、廃コンや廃貨車を発見したことをらいぷらが報告してくれるが、流石にまずいのでパス。努力の結果、どうにか返却時間ギリギリに到着。レンタサイクルをほぼフルタイムで満喫させていただいた。有難い。

時間の制限が無くなり、のんびり鹿島神宮へ参拝。実は年明けに神社に行ってなかったため初詣となった。御朱印を頂き、3人でおみくじを引いた。私の結果は「半吉」、ここ数年「大吉」ばっかだったのもあり、すぐさま結んでおいた。ちなみにおみくじには【〇旅立ち 辛抱し得るなら行ってよい】と書いてあった。いい1年になりますように。。。。

参道の途中に屋台があったので各々食べ物を購入。正直な所「たません(中京民なら通じる)」が食べたかったが、当然売っていないのでポテトを購入。鹿島神宮駅へと戻る。

f:id:sunagawarailway:20200319183944j:plain

ここで何故か行きには気づかなかった廃貨車と遭遇、無論事前情報も無しだ。流石に笑うしかなかったが、番号を調査し記録。

鹿島神宮駅へ到着した時には完全に陽が落ちた16時45分、鹿島線普通列車は既に出発していた。次の列車は約1時間後、何をして暇つぶすかと思っていたが、誰が言いだしたか気づくと右手には水戸行きの切符。まさかの鉄建公団鹿島線全線を一日で完乗することになっていた。

ホームへと上がると8000形が既に待機していた。6000形の置き換えようとして導入された8000形は、今までの赤い車体に白帯という鹿島臨海鉄道の旅客の標準塗装とは違い、ブラウン・レッド・ブルーの沿線の鹿島灘を表現したような配色だ。しかもこの車両、両端が引き戸で中扉が両開き戸という面白い構造をしている。敢えて中扉から乗車した。

前半は貨物線の分岐点を見たり、日本有数の長さの駅をみたりと暗い中でも沿線を楽しんでいたが、疲れた体にエンジンの音と揺れは子守歌だ。6月の茨城ドライブ編で乗車した南端、新鉾田駅を見届け眠りについた。

目を覚ますと水戸駅フレッシュひたち売店が出迎えてくれた。すぐさま常磐線の列車に乗り込み今度は南下、我孫子駅を目指す。常磐線の車内はそれはそれは愉快だった(自重)。流石は車内で宴会を開くとも聞く路線、軽くカルチャーショックを受けて我孫子駅へと到着。結局遠回りしたためか、鹿島線成田線経由とほぼ同タイムでの到着でした。急いで隣のホームへと移動し売店へ駈け込もうとしたが、なにやら片づけをしている様子。これは間に合わんなかったか、、と落胆していると職員のおばちゃんが「こっちのお店は終わったよ、あっちのお店はまだやってるから」と言ってくれました。ありがとう、おばちゃん。一目散にホームの真ん中あたりにある弥生軒6号店へ。そこには人だかりがあり、寒い中外で食べている人もいた。どうにか食券をゲット。茨城ドライブ編で食べ逃した「唐揚げそば(うどん)(400円)」にありつけた。

f:id:sunagawarailway:20200319183956j:plain

我孫子駅弥生軒では大きな唐揚げを駅そば(うどん)に入れたメニューがある。私はうどんが食いたかったのでうどんにしたが、関東ではそばが定番かと思う。面白いことに唐揚げ単品でも注文でき、その場合は丼につゆと唐揚げが入っているらしい。ボリューム満点でおなかを膨らませることが出来た。また食べたいなと心に誓い、我孫子駅を後にする。我孫子駅から千代田線耐久レースを完走すれば地元に着けるはずのらいぷらがまだ居るが、常磐線に乗って上野駅へと向かった。上野駅到着後解散、寝坊、レンタサイクルの時間、唐揚げそば争奪戦と時間に追われることが多い旅だったという印象。

ちなみに歩数は高尾登山編より少なめの28191歩だった。今回の旅では神栖の廃貨車王国の片鱗を見たに過ぎない。再び神栖への探索が行われるかと思う。