東日本旅客鉄道E751系
S-13 Mr.カラースプレーニュートラルグレー
S-79 Mr.カラースプレーシャインレッド
日本国有鉄道レム5000形
日本国有鉄道ポム1形
日本国有鉄道ポム1形は、ワム90000形の改造や新造で192両製造された15t積みの陶器車です。外観には差異がありませんが、車内に棚を設置しています。主に名古屋鉄道管理局管内で使用され、「名」の文字が印象強い形式です。今回制作したのはポム20、再末期まで残った個体のうちの1両で大府駅常備となっていました。
現存するポム20を見に行く予定が出来たため、急ごしらえで製作しました。最初はワム90000形の片面を使って仮落成、後に種車を確保して正式に落成しました。
一番のこだわりポイントは「名」の管理局表記です。この独特な形を再現するためにトレースしてみました。
ワム90000形と連結させると再末期の東海地方という感じがしますね。東海地方は瀬戸物の瀬戸市が有名ですが、碧南市などの知多半島でも盛んで貨物輸送も行われていました。
塗装:B-513 Mr.スーパークリアー光沢
B-519 Mr.サーフェイサー1000スプレー
S-2 Mr.カラースプレーブラック(黒)
車歴:2021年1月24日 仮落成
2021年1月25日 親子写真撮影
2021年2月23日 落成
秩父鉄道デキ100形デキ108の歩み
最初の落成は2014年8月、秩父鉄道が身近な路線になった頃でした。デキ100形とデキ500形を足し合わせたような形状で、ナンバーはオリジナルのデキ508になっています。製作期間はわずか2日間、かなりの突貫工事でした。初走行は直後に行われた「第8回プラレールひろばinちゅうおう」となり、秩父鉄道の貨物列車編成を牽いています。
本線では様々な機関車を連ねた編成の先頭を務めていたタイミングもありました。余談ですが、誰にも言わずに製作していたため、EF15形の塗り替えだと思われていたようです。確かに動力台車も含めてEF15形にしか見えませんね笑
帰宅後に新作発表、ここでフルスクラッチだったことを明かしました。ナンバーや社紋だけでなく、白帯もシールでの再現となっています。
ヲキ100形の鉱石列車を牽くデキ508、この編成をやりたいがために作ったといっても過言ではありません笑
8月末にははまのべ・らいぷら両氏との会合があり、はまのべ氏とお互いの所有機関車を出し合います。この車両たちもお互いリメイクを重ねて、顔ぶれが変わっていそうですね。
この時点で庇が折れてしまっていますが、落成から半月ほど経ってブログ用の写真を撮っていました。側面や前面は大きく変わりましたが、屋根上は落成時の姿から現在まで大きく変化していません。ちなみのパンタグラフは旧金型の485系から持ってきています。
6050系やED79形との並び、6050系はこの直後からリメイクに入ってしまい、この姿で並ぶのは最期となりました。
旧型客車を牽くデキ508、初期のパレオエクスプレスは旧客を使用していたのでそのイメージです。
秩父鉄道の貨物列車は様々な編成がありました。1枚目はバラ積みセメント&鉱石輸送で2枚目は三ヶ尻線での焼却灰輸送のイメージでしょうか。
秩父鉄道3000系との並び、在りし日の秩父路のイメージです。このあと山小屋になるとは思いもせず……
2014年11月末、この頃に専用の台車を用意してもらい、従来履いていた台車はEF15形に返却しました。ちなみに新しい台車はカートレイン用のDD51形の物ですが、車体は911形のためにボンネット上のファンを供出しています。
「第1回プラレールひろばinきたもと」に向けて待機する機関車たち、当日は走行こそしたものの写真は撮っていなかったようです……
「第1回プラレールひろばinきたもと」を終えて砂川機関区へと戻ってきたデキ508、周囲には懐かしい車両たちが沢山写っていますね。
扇形庫横のスペースに留置されることになりました。構内には機関車から気動車、電車、貨車まで留置されており、現在よりも車両のバリエーションが豊富な気がします。運転会直後なのもあり、改造中の車両が全くいないのも珍しい光景です。
デキ508による鉱石輸送の姿です。この時は丘和車両製のヲキ100・ヲキフ100形と共に運用されることが多かったですね。途中まで製作していたコンクリート製のホッパーも懐かしいです。
秩父鉄道が春のパレオエクスプレスの運行開始前に行っていた見学会での1枚です。この時はデキ100形同士の並びを見せてくれました。このイベントがあったことにより、デキ508のリメイクを決定することになります。
「第1回プラレールひろばinきたもと」ではあまり活躍させることが出来なかったため、「第1回北本でんしゃ広場」ではデキ508に陽が当たるようにしました。この写真は留置線での1枚、高崎線のE231系やEF15形が牽く貨物列車が留置されています。この頃は製品が走ることも多かったですね……
長編成の貨物列車を牽き、駅を通過するデキ508の姿です。カートレインのDD51形の足回りを使っていたためか、速度はともかく走行は安定していました。
熊谷貨物ターミナル風の貨物駅を通過するデキ508です。本来は高崎線の旅客列車が通過する橋ですが、これもプラレールらしさでしょうか。この運転会のレイアウトは児童館での初回レイアウトですが、密度や配線がとても程よくて地味に気に入ってたりします。
かつてはどこの駅にもあった貨物ホームに、車扱輸送を行うワムが入換動車によって横付けされています。そんな風景を横目に専用貨物が通過していくのは、日本中にあふれていた光景だったかもしれません。奥には国鉄時代にありがちな廃車体を利用した宿泊施設も設置されていますね笑
その直後に行われた春のちゅうおうでも機関区に置かせてもらいました。様々な人の作品が集まるのが大きな運転会の良いところですよね。
「第9回プラレールひろばinちゅうおう」の直後にデキ508は解体線へと送られます。これは解体の為か、それとも何かが行われるのか。2エンド側は早い段階でライトを失ったり、庇が折れたりしていました。落成から1年もたっていない時期でしたが、老朽化は着実に進んでいたのです。
DF51形、ED79形と機関車を交換しながら砂川車輌に入場します。
砂川車輌へと入場したデキ508は、きれいな姿に生まれ変わるために大規模な加工が施されることになります。これが落成後初のリメイクとなり、今後何度もリメイクや塗りなおしを施されることになります。
初めにシールを剥がし、窓配置の変更を行うことにします。
デキ500形の窓は4枚ですが、松尾鉱業生え抜きのデキ107、デキ108は側面の窓が3枚しかありません。2、3枚目の中間に窓を増設することにします。
中間の窓を整えたら、次に不要な窓を埋める作業を行います。
一部のパーツが剥がれて不揃いになっていたルーバー部分も一度撤去して造りなおすことにします。
この時点までにシールの撤去、側面の窓配置の変更、剥がれかけていた庇の撤去などを行いました。並行して表面処理も行っています。
乗務員が出入りするために設けられている貫通扉の枠を設置します。最近のデキ500形は切れ込みで十分ですが、デキ100形は扉の枠が外観からも確認できます。この作業が手馴れていない当時はかなり大変でした。
外れていた2エンド側の前照灯の復元やランボード間にある雨樋を設置します。ついでに前面の窓も整えなおしていますね。
1エンド側は早くも庇の取り付けに入っています。松尾鉱業出身のデキ107、デキ108は庇がかなり印象的な機関車です。この時はデキ107をモデルにしていたため、庇の形状もデキ107に合わせた形になっています。
2エンド側には台車に固定するためのツメを設置します。これが無いと車体がすぐに外れてしまいます。
作業が進んできたので台車に嵌めてみます。かなり様になってきた気がします。
サーフェイサーを吹いてみた姿です。この作業を経ることで傷の有無や接着が不十分な隙間の確認をしていきます。
最終サフを吹いて塗装直前の段階まで来た状態です。リメイク前より引き締まった印象になりました。
数日間に渡る奮闘の末、無事にリメイクが終了し、デキ107へと生まれ変わりました。貫通扉周辺の塗装が若干失敗してしまったのは残念ですが、かなりいい感じに仕上がったと思います。白帯も今回は塗装での表現に変更し、屋根上もニュートラルグレーで塗り分けました。
落成したデキ107を回送するために砂川駅の3番ホームに入れます。これは翌日のイベントの為でした。
完成翌日に行われた「プラレールスクエア!」にお邪魔させていただき、デキ107を走らせることが出来ました。DNDKさん、本当にありがとうございます。
秩父鉄道3000系との並び、私は見ることが叶わなかったですが、こういった並びも日常風景だったのでしょう。
跨線橋の下に佇むデキ107、武川駅で見られそうだなと今になって思う風景です。
2015年5月の「わくわく鉄道フェスタ2015」で親子写真を撮影することが出来ました。デキ107はこの時点で引退してしまっていたため、もしかするとこの並びは最期になるのではと思い、沢山撮影した記憶があります。
秩父鉄道デキ100形
秩父鉄道デキ100形は、1951年に秩父セメントの私有機として製造されたデキ101(製造時はデキ8)から始まる電気機関車の形式です。大きく3つのグループに分かれます。一つ目は先述した秩父セメントの私有機デキ101、二つ目はデキ101の増備車として1954年、1956年の二回にかけて増備されたデキ102~デキ106、三つ目は岩手県の松尾鉱業から1972年に譲渡されたデキ107・デキ108の2両です。今回製作したのは3グループに属するデキ108号です。デキ108号は松尾鉱業ED50形のED50 2号として1951年に製造され、電化されたばかりの本線を走っていました。製造当時は茶色一色の大人しい塗装でしたが、1950年代も後半になると湘南色のような緑橙の塗装に変更されたそうです。廃止時期が近づくころには、青い車体に白い帯という現行の塗分けとなったそうです。1972年10月11日には松尾鉱業鉄道が廃止され、耐寒設備の撤去や秩父鉄道に対応した装備を追加して僚機のED50 1号と共に1973年から秩父鉄道を走り始めるようになりました。その時には当時の他の機関車同様の茶色に変更されましたが、後にデキ500形の導入時には松尾鉱業の塗装が採用され、デキ108号も松尾鉱業時代の塗装に戻ることになりました。製造から70年近く経った2020年12月、デキ108号は運用を離脱することになりました。現在は広瀬川原車両基地にて、一足早く引退したデキ107号と共に余生を過ごしています。
秩父鉄道の機関車が身近になった2014年、父親がデキを作ると言い出してデキ508号というオリジナルのデキを作ったことがこの車両の始まりです。デキ100形をベースにデキ500形の要素が含まれた姿でした。落成から1年が経った頃にリメイクも兼ねてデキ107号を持っるとした姿に変更しました。この時に側面窓の個数を4枚から3枚にを変更しています。その後は塗装を変更してデキ505号風の茶色塗装になったり、青地の色をフレンチブルーに変更してみたり、更に青地の検討で小田急ブルーにしてみたりと試行錯誤を重ねてきました。2020年、三ヶ尻線熊谷貨物ターミナル駅での撮影会に向けて再び大規模なリメイクを実施し、現在の姿となっています。
マグネットシートを利用して松尾鉱業時代のナンバープレートを設置できるようにしてあります。実車も同様の方法で撮影会をやりました。
塗装:B-513 Mr.スーパークリアー光沢
B-518 Mr.ベースホワイト1000スプレー(第1・3次出場時)
B-519 Mr.サーフェイサー1000スプレー
S-1 Mr.カラースプレーホワイト(白)(第1・3次出場時)
S-2 Mr.カラースプレーブラック(黒)(第3次出場時)
S-13 Mr.カラースプレーニュートラルグレー(第1・3次出場時)
S-65 Mr.カラースプレーインディブルー(第1次出場時)
S-65 Mr.カラースプレーコバルトブルー(落成時)
TS-10 タミヤカラースプレーフレンチブルー(復帰時)
SP-22 鉄道スプレーブルーB(小田急ブルー)(第2・3次出場時)